みなさんへNo57 −ゴールデンウィークの出来事−

f:id:fujimako0629:20210522175513j:image

3回目の緊急事態宣言が出されたのが4月25日。僕らはいっぱい振り回されて、いっぱい我慢もしていて、先が見えなくて、一体全体、どうすればいいんですかねぇ。
そんな緊急事態宣言真っ只中の5月1日の土曜日、玄関わきに植えているプラム(すもも)の木を剪定した。随分伸びて、お隣さんの敷地に枝が入りまくっていたからだ。

剪定鋏で切れる太さではないので、のこぎりを使って、下の子と2人で、お隣さんに倒れないように注意しながらジョリジョリ太い幹を切った。「ごめんね」と心の中で言いながら。

この木は春に、そう、ちょうど桜の花が咲き始める1週間ほど前に白い小さな花をつける。
うちの小さな裏庭には桜の木があるので、ここ数年、玄関のプラムが咲いて、プラムが終わったら裏庭の桜が咲き始めるという流れで、春の花を楽しませてもらっている。
この子は、多分15年くらい前に玄関先に植えた。
そうだ思い出した。同じ場所にモワモワ生えているワイヤープランツと一緒にホームセンターで買ってきて植えたんだった。

f:id:fujimako0629:20210522175730j:image

プラムの木なので、当然美味しいプラムが実ると思いきや、十数年前から花が咲き始めたのに、今までの収穫はゼロ。
全く実が生らない。花が終わった直後は、小さな実がたくさんついているんだけど、全てが小さいうちに落ちてしまう。
僕は別に気にも留めずに、まだ若い木だからなんだろうな、くらいにしか思っていなかったんだけど、去年、うちから2キロほど北西にある、大きな赤鳥居の道沿いに、たくさんの実をつけているプラムの木を数本見つけて、うちの子より小さいのになんでこんなにたくさんの実がつくんだろうって、僕は少し真面目に考えて、調べるようになった。
ちゃんと説明できないんだけど、プラムの木は自力で受粉するのが下手な木なのだそうで、人間が受粉を手伝ってやるか、受粉樹といって、同じ種類の木を近くに植えるとよく受粉するということが分かった。うちの子にはどちらも当てはまらない。僕は、受粉のお手伝いをすることもなく、この子が付けた白い花の下で、白ワインを飲んだだけだ。

2人がかりで、ガレージに切ったプラムの幹を横たえ、その直径10センチほどの幹から、枝を切り落とす作業をしているときに、楕円形の直径1.5センチくらいの緑色の実を2つ見つけた。こんなに大きくなった実を初めて見た僕は思わず、「うわぁ」と声を出してしまった。そしてすぐさま、剪定後の木を見上げて、目を凝らした。すると、3つ4つ同じ大きさの緑色の実が生っているではないか!
f:id:fujimako0629:20210522175409j:image剪定してしまうと木が弱って、今ついている実も落ちてしまうんじゃないかと、僕は、剪定したことを少し後悔した。
その後悔は現実となって、その日以降、2つの実が地面に落ちていた。
剪定と落実の関係性はよく分からないけれど、「あ〜あ」という気持ちになったのは事実で、でも、剪定はしなきゃいけなかったことなので、「仕方がない、仕方がない」と自分に言い聞かせた。
とはいえ、たぶんまだ2,3個の実が頑張って生っているはずなので、大きくなーれと祈りながら毎日うちのプラムの木を見上げている。

そして5月3日の月曜日、地元の氏神様である森稲荷神社にお参りして、さらに湊川神社へも足を延ばし、その後、いつものコースである、西元町からぶらぶら密を避けながら東に向かって歩いた。
コロナ禍以前は、新開地付近の立ち飲み屋さんで、お昼ごはんの代わりに一杯やってからぶらぶら歩いたりもしていたんだけど、そんな楽しいことも今はできない。
でも、緊急事態宣言が出たからといって、人手がそんなに減っているようにも思えなかった。たぶん、みんなもう慣れちゃってるんだろうな。
ほとんどの人はマスクをしてるけど、中にはマスクをしていない人たちもいたりする。でも、もううんざりだ!と思ってるんだとしたら、その気持ちも分からなくはない。
そんな中、元町の古本屋さんで見つけたのが、村上春樹の回文の本「またたび浴びたタマ」という本。またたびあびたたま…ね、回文でしょ。
この本をきっかけに僕の頭は時々回分になる。頭で考えただけで回分は作れないから、鉛筆と落書帳を手元に用意する。
僕の頭は、仕事終わりの、お風呂上がりの、自分の部屋で一杯やり始める夜10時ごろから、回文になることが多い。54歳になって初めて自作の回文を作るべく、グラスの横に置いた落書帳につらつらと文字を走らせる。
その日のお酒のあてはトンカツ。「トンカツ」で回文を作れないかな?
「トンカツカント」…「トンカツ関東(関東炊きのかんと)」トンカツのおでんという意味に…ならない?…よなぁ。じゃ
あ「トンカツツカント」ん?「トンカツ付かんと?」なんかいい感じ?でも、文章にはなってきたけど、文として完結していない。
「付かんとさ」だったら、「この定食に単品でトンカツ付けられませんか?」と店の大将に聞いたら、「すんません。付けられませんねん。」って。一緒にお店にいた連れに「あかんねんて。トンカツ付かんとさ」みたいな風景が思い浮かぶけど、「とんかつつかんとさ」は回文ではない。あれ?じゃあ、頭に「さ」を付ければいいやん。ということで「さ、トンカツ付かんとさ!」
単品のトンカツが付けられないと分かって、「付けられへんねんて。さ、食べよ食べよ」って感じで、「さ、トンカツ付かんとさ!」…できたんちゃう?(笑)
他にも「酒飲んでんの、今朝?」「良い知らせが、ガセらしいよ」どうです。まあまあでしょ。(笑)そして強引に、プラムの話題にちなんで、急遽作ってみた。「プッラムの幹は黄身飲むラップ」強引すぎるし、意味わからんけど、これが精いっぱい。
今年のゴールデンウィークはこんなふうに過ごしたという2つのお話でした。

またたび浴びたタマ
村上春樹(文)友沢ミミヨ(画) 文芸春秋