みなさんへ No.26 −遅い夏休みをいただきました− 2018.08.31

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> No.25の続編になってしまいました。
> この週末、月曜日にお休みをもらって土曜日から実家に帰っ
> てきた。
> 前回の「みなさんへ」でもお話したとおり、うちの実家があ
> る岡山県の小さな集落は、ほとんどの家が床下床上浸水とい
> う、それなりの被害が出た。
> 25日の土曜日、朝9時過ぎに岡山駅について、伯備線という
> 岡山から山陰に抜ける在来線に乗り換え地元を目指した。
> 伯備線は川沿いを南北走る路線で、線路のすぐ下を国道も走
> っている。
> その国道の川に面したガードレールに設置してあった道路標
> 識が、川の流れる方向にぐにゃと曲がっていたり、折れてな
> くなっていたりしているのを何か所も見かけた。
> 今はその下10数メートルを流れている川の水が、あの日、国
> 道を飲み込む高さまで上昇したということだ。ということは、
> 対岸のあのお家も浸水しているはず、このお家も…
> そう考えると、何とも言えないやるせない気持ちになった。
>
> 地元の大きい駅まで、買い物がてら車で迎えに来てくれた両
> 親と合流し実家に帰った。
> 今度は川と線路に挟まれた、より川に近い国道を通ったのだ
> が、川に見える氾濫の爪痕は、本当に痛々しいものたった。
> 1日2日の間に、いったいどれほどの雨が降ったら、この高
> さまで水が来るのか、想像もできなかった。
>
> 昼食後、一息入れている時、父が母屋の床下にある長方形の
> 通気口を指さしてこう言った。
> 「通気口の2センチくらい下に線が入っとろうが、ここまで
> 水が来たんで」
> 確かにそこには茶色い線が入っていて、コンクリートの色が
> 変わっていた。
> うちの母屋は本当にギリギリ、わずか2センチで助かったの
> かと思うと、よかったなぁという気持ちが湧いてくるけど、
> ご近所さんのことを考えると…心から喜べない、複雑な気持
> ちだった。
>
> 僕の実家がある小さな集落は、JRの線路の上と下で2つに
> 分かれている。線路の下が川に面した集落で、線路の上は山
> に面した集落だ。典型的な過疎の集落で、お年寄りばかりな
> のだが、非常時の団結力はとても強く迅速で、機能的に助け
> 合いの行動が始まる。
> 今回の豪雨災害では、山に面した集落の人たちが、被害にあ
> った川に面した集落の人たちを助けるという図式だ。
> 水が引き始めた7月7日から炊き出しが始まり、以降、水に
> 浸かった家の生活再開に向けての人的物的援助(うちの実家
> は離れが床下浸水し、地下にあった貯蔵庫が冠水したが、7
> 日には水を抜くためのポンプが貸し出され、その日のうちに
> 水を汲みだし終わっている)や食事の世話が始まっていて、
> それも被害の大きかった家から集中的に援助が行われるよう
> だ。
> こういう動きは、誰かが指示して行われるものではなくて、
> 昔からのならわしである程度動きが決まっているということ
> を僕は知っていたから、父と夜酒を飲みながら、そういう話
> を聞くにつれ、民俗学者である宮本常一さんの著書「忘れら
> れた日本人」を思い出していた。
> 例えば、僕の実家の集落で不幸があると、集落を何分割かに
> して、その家が含まれるその分割区域の中に含まれる家の女
> 衆は、白いかっぽう着を着てその家の台所仕事を、男衆は、
> お通夜お葬式の準備や受付、お寺さんの手配などの力仕事や
> 折衝仕事を手伝う。
> 一昔前は、冠婚葬祭を家でやっていたので、そういう役割分
> 担もきちんと決まっていて、今も生きている。
> そんな、昔からの風習や昭和初期以前の小さな地方の村の人
> たちの生活習慣についてまとめられている本が、この「忘れ
> られた日本人」だ。
>
> 日曜日の早朝、僕はひとりでお墓参りに行った。お墓は山の
> 中腹にある。
> 線路を超え、山に面した集落の家々の間を通る細い路地を歩
> き、子供の時にカブトムシを取りに山に入っていたルートで
> お墓を目指した。
> 家を通り過ぎ山に入ると、車が通れる舗装された山道にショ
> ートカットできる、木と木の間を通り抜けるトンネルのよう
> な細い道があるのだが、そこはもうほとんど人が歩いていな
> いようで、木が道を遮るように倒れていたり、ちょうど人の
> 顔の辺りに蜘蛛が巣を作っていたりしていて、いくつかはよ
> けたが、最後のひとつに気付かずまともに顔で受けてしまっ
> た。
>
> お墓をきれいに掃除して、さっぱりしたお墓で、祖父母やご
> 先祖様のことを想いながら、時に話しかけながら、しばらく
> ボーとしていた。
> ミンミンゼミとツクツクボウシが夏の終わりを告げていた。
> 歩いてお墓に行った帰り道、僕はいつも立ち止まって眼下に
> ある自分の家の方を眺める。
> 今日も、その景色を眺めながら、明治大正時代の、この場所
> から見える景色を想像した。
> 「親父(僕のおじいちゃん)は、飼ようた牛をとても大切にし
> ょうた」
> と父が昨日酒を飲みながら話してくれた。
> 牛は生活に欠かせない大切な家族だから、家族が食事をする
> ときに牛小屋の牛がちゃんと見えなければならないと、そん
> な思いで父方の祖父は牛小屋を作ったのだそうだ。
> 眼下に見渡せる田んぼも、当時は家族同様の牛が耕し、ご近
> 所総出で田植えをし、神に豊作を祈りながら大切に大切に育
> て、収穫の秋を迎えたのだろう。そして収穫を祝いながら酒
> を酌み交わし、神に感謝の気持ちを伝える秋祭りを眼下に見
> える神社で行っていたのだろう。
> このあたりの田んぼは、8月の終わりから稲刈りが始まる。
> そして、この美しい田舎の景色は、長い歴史の中幾度も災害
> を乗り越えてきた、この集落に住む人たちの団結力が作って
> いる。
>
> 忘れられた日本人
> 宮本常一(著) 岩波文庫
>
>
> このメールは、係長さん以下の役職者の方にお送りしていま
> す。