みなさんへ No.12 −自分の感受性くらい自分で守ればかものよ− 2017.07.03

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> 田村隆一高村光太郎茨木のり子アルチュールランボー堀口大学
> 谷川俊太郎吉本隆明金子みすず久坂葉子大岡信
> 日本を代表する詩人の方々。
> さらに追加すれば、僕が昔読んでいた詩人の方々。
>
> 高校時代の僕は、大人なんかにはなりたくないと思っていて、それはそれ
> は大きなコンプレックスを抱えているチョー現実逃避人間でした。常に逃
> げてばっかり。
>
> そんな感じだったので、学校に行くのがいやでいやで。
> ということは、朝が来るのがいやでいやで。
> 「いやだいやだ」と思いながら夜布団に入るから、ゆっくり眠ることもで
> きず、ラジオを聴きながら眠くなるまで本を読んでいた。
>
> 目標のない3年間、よく学校に通っていたなぁって思う。
> 入学前の春休みに、先輩に誘われて高校のバスケの部活に参加して、太も
> もの剥離骨折で全治2カ月。
> 入学してからの1か月間は松葉杖をついていた。
>
> 部活も勉強も中途半端になってしまって、音楽と読書に逃げ込んでいた。
>
> そんな高校時代に出会ったのがこの方々。特に最初に名前を挙げた、田村
> 隆一さんが大好きだった。
>
> 当時読んでいた「田村隆一詩集」を失くしてしまって、大好きだった詩の
> タイトルすら忘れてしまっている。
> とにかく何もかも含めて、高校の時の記憶がほとんどなくて。
>
> 僕が昔読んでいた詩人のひとりに、残念ながら今年の4月にお亡くなりに
> なった大岡信さんがいる。
> 大岡信さんは、朝日新聞に「折々のうた」という短いコラムを、間に休載
> をはさみながら1979年から2007年まで掲載されていた。
> 大岡信さんがお亡くなりになったことを受け、5月26日付の朝日新聞の書
> 面に「折々のうた」に関する特集記事があり、その記事の中に茨木のり子
> の「自分の感受性くらい」の一節、
> 「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
> をテーマにした「折々のうた」が紹介されていた。
>
> それを見て思い出したんです。「自分の感受性くらい」という名の詩を。
> 高校のとき読んだのを。
> 大嫌いな詩だったことを。
>
> 本当に大嫌いだった。この詩が。
> 「もう放っておいて。余計なお世話!」
> って思っていたのを思い出しました。
>
> 当時の僕は、前述の通り、自信のないことやかっこ悪いこと、自分の中で
> 恥ずかしいことをするくらいなら、こそこそ逃げ隠れして、ダメな奴と思
> われてもいいって思っていた。
> だから、当時の僕に「ばかもの!」と言っているように思えるこの詩から
> は、本当に目を背けたかった。
>
> 茨木のり子の「自分の感受性くらい」はこういう詩です。
>
> 自分の感受性くらい
>
> ぱさぱさに乾いてゆく心を
> ひとのせいにはするな
> みずから水やりを怠っておいて
>
> 気難しくなってきたのを
> 友人のせいにはするな
> しなやかさを失ったのはどちらなのか
>
> 苛立つのを
> 近親のせいにはするな
> なにもかも下手だったのはわたくし
>
> 初心消えかかるのを
> 暮らしのせいにはするな
> そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
>
> 駄目なことの一切を
> 時代のせいにはするな
> わずかに光る尊厳の放棄
>
> 自分の感受性くらい
> 自分で守れ
> ばかものよ
>
> この詩は、戦時中の彼女のことを詠った詩。
> あれだけ統制され、人も含めてありとあらゆるものが消えていった時代で
> さえ、思うようにいかないことを自分以外のことのせいにするなと言って
> いる。
>
> 思うようにいかないことが当たり前のようになっている今の僕にとって、
> この状況は過去の僕がやったことから来ているんだなぁって改めて思わせ
> てくれた。
> とにかく「ガツン」とやられました。
> 今再び出会えてよかった。
>
> 将来の自分をできるだけ、思い描いている自分に近づけることができるよ
> うに、今を丁寧に生きないとね。
>
> 茨木のり子詩集 茨木のり子著 岩波書店
>
> このメールは、係長さん以下の役職者の方にお送りしています。