みなさんへNo59 −コオロギさんがうちにやってきた!−

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うちには小さな庭があるというお話はもう何度もさせていただいています。
もみじの木があって、桜の木があって、シマトネリコユーカリの木、そして多分小鳥の糞に混ざってポトリと落ちた種から発芽したクスノキや、グミや名前の分からない木も…あっ忘れてた、ブルーベリーの木もあって、今年は豊作で、今沢山の実が収穫できています。
元々何にもなかった庭に、ホームセンターから芝生の四角いのを3枚ほど買ってきて引いたのが始まりで、それがどんどん増えて庭全体が芝生で覆われるくらいになって、三宮の駅前で、もみじの苗木を買ってきて隅っこに植えて…なんてしてたらあっという間に19年の年月が経って、何となくいい感じの空間になってきました。今の季節は、蚊の攻撃がすごいですけど。
このことも以前お話ししたと思いますが、うちの小さな庭を、僕が子供の頃に遊んでいた実家のそばの、河原の土手のような雰囲気にしたいと思っています。
植物には土が大切ですから、伸びてきた芝を刈ったり、草むしりをしたり、木の枝を剪定したりしたものは捨てずに、庭の片隅に積んで少しづつ土に返すようにしています。さらにそういう所はきっと小さな虫たちも好きだろうから、そういう虫もひっくるめて、時間はかかっても、少しずつ実家のそばの河原の土手のような庭になってくれたらと思っていました。
本来は、やっかいな雑草の代表格であるカタバミも小さな黄色やピンクの花がきれいだから抜かずにいたら、カタバミの葉っぱを幼虫時代に食べるヤマトシジミもうちの庭を飛んでいます。桜の木には、ハバビロカマキリが3,4匹います。

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そして、ちょうど立秋を過ぎたこの時期から9月の中旬にかけて、毎年毎年すごく期待していることがあるんです。
毎年今年こそは!と夜、家に帰って窓を開けて、耳に手を当てて聞き耳を立てるのですが、うーんやっぱりだめかぁということが、かれこれ10年ほど続いていました。
それがですね、今年、ようやく聞こえたんですよ!!聞き耳を立てるまでもなく、めっちゃ鮮明に。裏の庭ではなかったんですが、玄関わきのワイヤープランツの茂みの中で。
「リリリリリィ—、リリリリリィ—」って。

 

そうです、僕はずっと8月半ばから9月いっぱいくらいまで、僕のうちの敷地内で虫の声が聞こえないかと、夜になるとほぼ毎日聞き耳を立てていました。
8月11日に聞こえた、多分エンマコオロギの鳴き声は、まさに、玄関の扉の数十センチ先から聞こえてきている声でした。
いやぁ、めちゃくちゃ嬉しかったです!やっとやーみたいな感じでした。

今年初めて虫の声を聞いたのは、うちで聞いたその前日8月10日の火曜日で、会社の近所の中の島公会堂の前の芝生からでした。エンマコオロギの大合唱でした。
その年の第一声を聞いて、あーそうだ、もうこの時期が来たんだなぁと思うんですよね。
良くできたもので、セミの大合唱が収まったら今度は夜の虫たちの出番なんですよ。
今年は特に8月頭に関西を台風が通り過ぎて、急に季節が進んだ感じがしたんですが、そう思ってすぐ中之島公園でコオロギの鳴き声を聞いで、その翌日、うちの玄関わきで同じくエンマコオロギの声が聞こえたので、余計にグッとくるものがありました。

今の時期、うちの実家のそばの川べりの土手は、虫たちの大合唱のはずです。
昼間はバッタ系ですね。ウマオイやキリギリスなどのバッタたちが「スィーチョン」「チョンギース」って鳴いています。
そして夜になると、コオロギやスズムシたちの独壇場になるんです。

 

昔僕が小学生のころ、スズムシを飼っていたことがありました。父親が、どっかからもらってきて、海苔の瓶に砂を入れ、軽石みたいな石を入れて、畑で取れたナスやキュウリや鰹節を餌にしていました。その海苔の瓶は、玄関の脇に置いてあり、「リーンリーン」と1日中スズムシの鳴き声が聞こえていました。秋も深まってくると、交尾を終えたオスはメスに食べられて、雌は瓶の砂に卵を産みます。その瓶を、乾燥しないように気を付けて冬を乗り越え春を迎えると、小さなスズムシの赤ん坊がたくさん生まれてくるんです。
そうやって何シーズンか、うちにスズムシがいました。
当時は、家でスズムシを飼うのが流行っていたのかもしれませんが、家の中から「リーンリーン」と聞こえてくる光景は、今でもいい思い出になっています。
でも、ですね、実際問題として、家から数十メートル離れた川の土手に行けば、野生のスズムシが鳴いていて、飼っているスズムシとは比較にならないくらい美しい声で鳴くんです。
響きだったり余韻だったりが全然違うんですよね。自然の過酷な環境で生きているスズムシはやっぱり瓶の中のあまちゃんスズムシとは違うなぁって思ってました。本当に美しい声なんです。
ということで、ホームセンターに行くと、スズムシを売っていたりするんですが、僕は自然にいる、野生の虫の声を部屋の中から聞きたいなぁと思ってしまうんです。

 

この文章を書き始めたのが8月10日ごろで、今年も大雨の被害が日本各地で起こってしまって、日本の気候がここ数年、本当に大きく変わってきたような気がしています。
もしかしたら、新型コロナウィルスの出現も、地球規模の気候変動が無関係じゃないのではないか?とも思ってしまいます。
日本の美しい風景としてまず思い浮かぶのは、里山の風景ですよね。きれいな山があって小川があって畑や田んぼがあって、その切り取られた里山の風景には4つの季節があります。
その景色から季節の移ろいが消えてしまったら…
それは嫌だから、やっぱり自分ができることをやらなきゃなって思います。ここまで自分で納得しないと、僕は、いろんな決まり事を進んでやるタイプじゃないんです。
そして僕の田舎は、まさにそんな里山の風景そのものの場所なのです。

 

図鑑日本の鳴く虫
奥山風太郎:著 エムピージェー

みなさんへNo58 −煤竹にまつわるご縁の話−

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煤竹(すすだけ)という竹をご存知ですか?
今回は、僕と煤竹にまつわるご縁の話をしたいと思います。
煤竹とは、真竹、孟宗竹といった竹の種類のことではなく、藁ぶき屋根の伝統的な日本家屋の天井で100年以上にわたり囲炉裏の煙に燻された竹のことで、ミルクチョコレートのような光沢のある茶色に色づいたとても美しく貴重な竹です。

僕は、今から7年前の2014年の春、帰省していた実家で、父が古い藁ぶき屋根の家の解体を手伝ったときに分けてもらったという、1.2mくらいにカットされた5本ほどの煤竹の束を見て、一瞬でその美しさに引き込まれました。そして、僕が持っている、のこぎりやナイフ、やすりなどを使って、切ったり、割ったり、削ったり、磨いたりという手仕事で作れるシンプルな道具を作ってみたいと思い、その場で父と一緒に、花入れを作りました。

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その日から3年ほどたった2017年、本屋の雑誌コーナーで立ち読みをしていた僕の目に、煤竹を使って作れそうな、シンプルな生活道具が飛び込んできました。料理の写真に写っていたその道具は、竹の「箸」でした。節を箸の上部に残したとても味わい深いデザインの箸で、花入れを作った時のような、作ってみたいという欲求が一気に膨らんできたんです。
竹の節を箸の上部に残し、ナイフでひたすら削り、サンドペーパで削った断面を滑らかに磨いて、僕は試作第1号の箸を作りました。濃い茶色に光るその箸を、僕はそれなりに気に入り、晩酌の時にはその箸を使っていました。
そして翌年2018年に、僕と煤竹にまつわる環境が大きく変化することになります。その年の秋、大好きなNHKの番組「美の壷」で箸の特集があり、その放送で煤竹の箸が紹介されたのです。画面の向こうにある煤竹の箸は、僕が今まで見た箸の中で一番美しく洗練されている箸で、僕はその番組を録画して、繰り返し何度も観て、箸を目に焼き付けました。
そして、使っていた煤竹の箸を、画面の向こうの煤竹の箸をお手本にして、再度削ったり、磨いたりとメンテナンスをしました。全く美しさが足りていなかったんです。
そうこうしているうちに冬が来て、12月の半ばに差し掛かったころ、僕と同じフロアで一緒に仕事をしていた執行役員さんが退職されると知り、みんなで何か贈り物をしようということになりました。その方の片腕として働いていた女性と相談して、奥さんとセットのお箸にしようということになりました。
その日、僕は会社を夜7時半ごろ出て、阪急百貨店に箸を見に行きました。
—「夫婦箸」というと、やっぱり漆塗りのちょっと高級なお箸がいいよなぁ—
—いやいや、一番いいのは、あの「美の壷」で観た煤竹のお箸なんだよなぁ…そういえば、箸ばっかり観てて、あの箸がどこで誰が作ってるのか全く覚えてないなぁ…どうやったらあの箸買えるんやろ?—
ああでもない、こうでもないと頭の中でぐるぐる思考が回りながら、僕は阪急百貨店まで歩き、日用品売り場の箸のコーナーを見て回りました。

檜のお箸、杉のお箸、漆塗りのお箸など、一膳でうん千円というお箸はいくらでもありますが、僕の頭の中には究極の箸がインプットされているため、どれもこれも「なるほどね」というくらいにしか思えませんでした。
箸のコーナーのチェックを終え、フロア全体を見て回るべく、きょろきょろしながら歩いていると、輪島塗のお椀の横に同じ輪島塗のお箸が添えられていたり、白磁の飯碗に合わせてお箸がおしゃれに置かれていたりします。さすがに見せ方が上手やなぁと感心していると、通路の10mほど先のワゴンに茶色の箸が並べられているのが目に入り、僕は、「あれ?」と思いました。そして歩くスピードが少しずつ速くなり、最後には駆け足になり、ワゴンの前で僕は「なんやねーん!」と大きな声を出しました。
そのワゴンには、僕が「美の壷」で観た煤竹のお箸がたくさん並んでいたのです。
そして、立ちすくむ僕の横に、その箸を作った箸職人の若槻和宏さんがニコニコ笑顔で立っておられたのです。
僕は若槻さんに、「こっ、このお箸、ぼっ僕、びっ、美の壷で観ました!」そう言うと、「うゎあ嬉しいなぁ、観てくださったんですか」と、美の壷でお箸が紹介されているところを写した写真を指さしながらおっしゃいました。
どうですか?奇跡ですよね。僕が箸という箸の中で、一番美しく洗練されていると思っている、たまたまNHKの番組で見かけただけの、どこで誰が作っているかも全く知らない煤竹のお箸に、贈答用のお箸をたまたま見に行った百貨店でいきなり出会えたんですから。
これを奇跡と言わず、何を奇跡というのでしょう?
この煤竹のお箸は、「百年煤竹箸」という名で、島根県の奥出雲地方で、箸職人の若槻和宏さんが一つ一つ丁寧に手作りされているお箸なのでした。
その日僕は、閉店ギリギリまで、若槻さんからいろんなお話を伺いました。
元々は算盤の球を通す軸に煤竹が使われていたこと、算盤の需要減による、煤竹を使った新しい商品開発の苦労話や、美の壷の撮影秘話など、貯めになるお話をたくさん。
そして次の週末、僕は「百年煤竹箸」の夫婦箸を購入し、仕事納めの日にその執行役員さんにお渡ししました。良い贈り物ができたと、今でも思っています。
若槻さんとは、その後も京都や大阪に出店されるたびにお会いして、いろんな質問をしたり、僕の作った箸を見てもらったりしています。なんと、若槻さんとは同じ歳なんです。

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(若槻さんから購入した煤竹の靴べら)
この奇跡的なご縁が、僕の道具好きに拍車をかけたのは言うまでもありません。
使えれば何でもいい、というのが僕はちょっと苦手です。値段は関係なく、たとえ百均の道具であっても、その道具を気に入ったら、とことん拘って使い続けたいと思ってしまいます。
このご縁の後、僕は煤竹のお箸を十膳ほど作り、出来の良いものは両親や家族にプレゼントしました。

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そんな感じだから、本屋さんで、日常使いの道具を紹介した本などを見つけると、ついつい買って帰ったりするんですよね。

暮らしと器 〜日々の暮らしに大切なこと〜
山口泰子:著 六耀社
うちの器
高橋みどり:著 メディアファクトリー
百年煤竹箸 https://susudake-okuizumo.jimdofree.com/

みなさんへNo57 −ゴールデンウィークの出来事−

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3回目の緊急事態宣言が出されたのが4月25日。僕らはいっぱい振り回されて、いっぱい我慢もしていて、先が見えなくて、一体全体、どうすればいいんですかねぇ。
そんな緊急事態宣言真っ只中の5月1日の土曜日、玄関わきに植えているプラム(すもも)の木を剪定した。随分伸びて、お隣さんの敷地に枝が入りまくっていたからだ。

剪定鋏で切れる太さではないので、のこぎりを使って、下の子と2人で、お隣さんに倒れないように注意しながらジョリジョリ太い幹を切った。「ごめんね」と心の中で言いながら。

この木は春に、そう、ちょうど桜の花が咲き始める1週間ほど前に白い小さな花をつける。
うちの小さな裏庭には桜の木があるので、ここ数年、玄関のプラムが咲いて、プラムが終わったら裏庭の桜が咲き始めるという流れで、春の花を楽しませてもらっている。
この子は、多分15年くらい前に玄関先に植えた。
そうだ思い出した。同じ場所にモワモワ生えているワイヤープランツと一緒にホームセンターで買ってきて植えたんだった。

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プラムの木なので、当然美味しいプラムが実ると思いきや、十数年前から花が咲き始めたのに、今までの収穫はゼロ。
全く実が生らない。花が終わった直後は、小さな実がたくさんついているんだけど、全てが小さいうちに落ちてしまう。
僕は別に気にも留めずに、まだ若い木だからなんだろうな、くらいにしか思っていなかったんだけど、去年、うちから2キロほど北西にある、大きな赤鳥居の道沿いに、たくさんの実をつけているプラムの木を数本見つけて、うちの子より小さいのになんでこんなにたくさんの実がつくんだろうって、僕は少し真面目に考えて、調べるようになった。
ちゃんと説明できないんだけど、プラムの木は自力で受粉するのが下手な木なのだそうで、人間が受粉を手伝ってやるか、受粉樹といって、同じ種類の木を近くに植えるとよく受粉するということが分かった。うちの子にはどちらも当てはまらない。僕は、受粉のお手伝いをすることもなく、この子が付けた白い花の下で、白ワインを飲んだだけだ。

2人がかりで、ガレージに切ったプラムの幹を横たえ、その直径10センチほどの幹から、枝を切り落とす作業をしているときに、楕円形の直径1.5センチくらいの緑色の実を2つ見つけた。こんなに大きくなった実を初めて見た僕は思わず、「うわぁ」と声を出してしまった。そしてすぐさま、剪定後の木を見上げて、目を凝らした。すると、3つ4つ同じ大きさの緑色の実が生っているではないか!
f:id:fujimako0629:20210522175409j:image剪定してしまうと木が弱って、今ついている実も落ちてしまうんじゃないかと、僕は、剪定したことを少し後悔した。
その後悔は現実となって、その日以降、2つの実が地面に落ちていた。
剪定と落実の関係性はよく分からないけれど、「あ〜あ」という気持ちになったのは事実で、でも、剪定はしなきゃいけなかったことなので、「仕方がない、仕方がない」と自分に言い聞かせた。
とはいえ、たぶんまだ2,3個の実が頑張って生っているはずなので、大きくなーれと祈りながら毎日うちのプラムの木を見上げている。

そして5月3日の月曜日、地元の氏神様である森稲荷神社にお参りして、さらに湊川神社へも足を延ばし、その後、いつものコースである、西元町からぶらぶら密を避けながら東に向かって歩いた。
コロナ禍以前は、新開地付近の立ち飲み屋さんで、お昼ごはんの代わりに一杯やってからぶらぶら歩いたりもしていたんだけど、そんな楽しいことも今はできない。
でも、緊急事態宣言が出たからといって、人手がそんなに減っているようにも思えなかった。たぶん、みんなもう慣れちゃってるんだろうな。
ほとんどの人はマスクをしてるけど、中にはマスクをしていない人たちもいたりする。でも、もううんざりだ!と思ってるんだとしたら、その気持ちも分からなくはない。
そんな中、元町の古本屋さんで見つけたのが、村上春樹の回文の本「またたび浴びたタマ」という本。またたびあびたたま…ね、回文でしょ。
この本をきっかけに僕の頭は時々回分になる。頭で考えただけで回分は作れないから、鉛筆と落書帳を手元に用意する。
僕の頭は、仕事終わりの、お風呂上がりの、自分の部屋で一杯やり始める夜10時ごろから、回文になることが多い。54歳になって初めて自作の回文を作るべく、グラスの横に置いた落書帳につらつらと文字を走らせる。
その日のお酒のあてはトンカツ。「トンカツ」で回文を作れないかな?
「トンカツカント」…「トンカツ関東(関東炊きのかんと)」トンカツのおでんという意味に…ならない?…よなぁ。じゃ
あ「トンカツツカント」ん?「トンカツ付かんと?」なんかいい感じ?でも、文章にはなってきたけど、文として完結していない。
「付かんとさ」だったら、「この定食に単品でトンカツ付けられませんか?」と店の大将に聞いたら、「すんません。付けられませんねん。」って。一緒にお店にいた連れに「あかんねんて。トンカツ付かんとさ」みたいな風景が思い浮かぶけど、「とんかつつかんとさ」は回文ではない。あれ?じゃあ、頭に「さ」を付ければいいやん。ということで「さ、トンカツ付かんとさ!」
単品のトンカツが付けられないと分かって、「付けられへんねんて。さ、食べよ食べよ」って感じで、「さ、トンカツ付かんとさ!」…できたんちゃう?(笑)
他にも「酒飲んでんの、今朝?」「良い知らせが、ガセらしいよ」どうです。まあまあでしょ。(笑)そして強引に、プラムの話題にちなんで、急遽作ってみた。「プッラムの幹は黄身飲むラップ」強引すぎるし、意味わからんけど、これが精いっぱい。
今年のゴールデンウィークはこんなふうに過ごしたという2つのお話でした。

またたび浴びたタマ
村上春樹(文)友沢ミミヨ(画) 文芸春秋

みなさんへNo56 −気象予報士さんのお仕事から自分らしさについて考える−

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僕は立ち飲み屋さんが好きで、仕事終わりにフラッと寄っては、瓶ビール1本に熱燗か焼酎を一杯、湯豆腐やポテサラをあてにカーっと飲んで、30分ほどでサッと店を出る、そんな寄り道を頻繁にしていました。フラッ、カー、サッです(笑)
その時間がいい気分転換になっていたし、勉強の時間でもあったし、今でも付き合いのある大切な友人と出会わせてくれた時間でもあったのですが、4年ほど前から年に数回しかそういう時間を持たなくなり、今では、コロナ禍の影響も加わりもっぱら家飲み専門です。
そんな僕なのですが、3年ほど前から仕事終わりに、それほど頻繁ではないけれど、立ち寄る場所ができました。10数人で一杯になる、小さな喫茶店です。
3年前の6月に、大好きな絵描きさんの個展がその喫茶店で行われると知り、絵を拝見しに寄せてもらったのが最初です。
そのお店は、天神橋筋六丁目駅に近い、昔ながらの民家が立ち並ぶ路地の中にあります。その名も「喫茶路地」。
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お酒の嗜好は多少表現できる僕なのですが、コーヒーの味は、苦い、酸っぱいは分かっても、それが口に合う口に合わないということがよく分からないので、喫茶店やカフェに一人で行くということがほとんどなかったのですが、「喫茶路地」で過ごした時間は、ナット・キング・コールの歌声が静かに流れる穏やかな時間で、とてもリラックスできたんです。
そしてマスターと僕が同郷だということで話も弾み、僕はこの喫茶店が大好きになりました。
今は、夕方6時にお店が閉まってしまい、仕事の後立ち寄ることはできないのですが、当時は夜8時まで開いていて、会社帰りでもお店に寄ることができていたんです。

昨年の12月、その喫茶路地のマスターから、数名の常連さんを土曜日の閉店後店に招待し、情報交換会を兼ねたささやかな飲み会を企画しているとお声がかかり、僕は、喜んで参加させていただくことにしました。
飲み物はマスターが、食べ物は参加する我々が準備し、マスク着用と窓開け換気はマストで行うというルールで、1時間程度懇親しようというその企画は、昨年の12月19日の夕方6時半から行われ、僕は、生ハムとスモークチーズを持って参加しました。
参加したのは、マスターを含め6名。
大手製薬会社で薬の研究開発をしているという男性と、文化人類学者の女性のご夫婦、将来カフェの開業を夢見ているWEBデザイナーの女性、マスターと僕、そして気象予報士をしているという30代半ばの男性。みんな30代以下。僕だけ50代。多彩なメンバーです!(笑)
マスターが準備してくれた、ビールやハイボールをそれぞれ手にして、一人一人自己紹介しながら、ささやかなその会は始まり、持ち寄った食べ物を共有するうちに、少しずつ打ち解け、楽しいひと時となりました。
文化人類学者の女性は韓国の方で、お葬式の研究をしているとのこと。
その方のご主人からは、新しい薬の開発にまつわる苦労話をお聞きしたり、一番若い20代前半のWEBデザイナーの女性の、自由奔放なお父さんの逸話をお聞きしたりと、楽しく興味津々の話をたくさんお聞きしていたら1時間くらいあっという間に過ぎてしまいました。
そして、気象予報士をしている佐藤さんという男性、僕はマスターに彼を紹介されてから、彼のことがずっと気にかかっていました。
気象予報士…佐藤さん……もしかして俺知っる?…
彼の声を聞いているうちにやっと気象予報士佐藤悠が繋がりました。僕は、佐藤さんのことを知っていたのです。嬉しくなった僕は、彼の話に割り込み、
「思い出した!佐藤さん、ラジオ番組で天気予報をしてませんか?」
そう言うと、佐藤さんは「えっ?」とびっくりした顔になり、僕が、「ABCラジオの夕方の番組ですよね。佐藤悠さん」と言うと、「うわぁ!お聴きになっているんですか?」と。
気象予報士である佐藤悠さんは、ABCラジオの火曜日の夕方の番組で天気予報のコーナーを担当されている方で、僕はその番組が好きで、ラジコのライムフリーで聴いていたのでした。佐藤さんは、ラジオを聴いて自分のことを知っている方に初めて出会ったと、ちょっと照れながら僕に言ってくれました。

その佐藤さんと、3月27日の土曜日に喫茶路地で待ち合わせをしました。
気象予報士という仕事についてとても興味があったので、たくさんお話をお聞きしたのですが、どうすれば視聴者に天気予報や季節の話題を正しく、わかりやすく伝えることができるか、興味を持ってもらえるかということを、常に考えておられる姿に、もっと言えば、そのことしか考えていないというくらいの必死な姿にとても感銘を受けました。気象予報士さんが番組で話すことは、作られた原稿ではなく、気象予報士さん自ら作っていたんですね。
春は、梅や桜といった花の情報が天気予報と一緒に伝えられることが多いですが、佐藤さんは、自分の足で梅や桜の名所を歩いて回り、その時に五感で感じたことを元に手書きの資料を作り、リアルな生の情報を天気予報の時間に伝えておられるということでした。でも、よくよく考えてみると、ラジオ番組での天気予報なので、丁寧に作った手書きの資料を、聴取者の人たちは見ることができないんですね。それでも、心を込めた手作りの資料を準備して、番組の出演者に見てもらうことで、その人たちの協力も受けながら、少しでもよりよく伝わるように、聴取者の方が一人でも増えるように、たくさん考えて工夫されているんです。
心から見習わなきゃなぁと思いました。お客様に信頼されることって、こういった「自分らしさ」を大切にした地道な努力の積み重ねで得られることなんだなぁ、と再認識させてもらったんです。
そして「うちの会社らしさ」とは何だろう…とも考えました。何だと思いますか?

春は美しい花の季節でもありますが、冬を乗り越えた小さな植物が芽吹く季節でもあります。春になるとこういう本を手に取って、佐藤さんのように緑の中を歩きたくなります。

草の辞典 〜野の花・道の花〜
森乃おと:著 雷鳥社

追伸

喫茶路地さんの情報は「kitusaroji.com」と検索してください。

気象予報士佐藤悠さんは、この4月から朝日放送の情報番組「おはよう朝日土曜日です」のお天気コーナーを担当されています。

みなさんへNo55 −コーヒーテーブル クローゼットの整理、ノーマン・ロックウェル−

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関西の緊急事態宣言は2月末で解除になったけど、関東は当初解除を予定していた2月7日からさらに2週間程度延期することになった。
ワクチンの接種も当初の計画通り進んでいないみたいだし、このままいくと本当に1年延期されたオリンピックもどうなるか分からない状況になってきている。
不要不急の外出を控えること。人が密集する場所にはいかないこと。マスクなしで大きな声で話さないこと……はい。ちゃんと守っています。週に1回から2回は在宅勤務もしていますし。
家にいる時間が長くなると、必然的に自分の部屋にいることが多くなる。居間は子供たちに占領されているからなおさらだ。仕事が終われば、そのままそこでお酒も飲む。在宅勤務の日は、朝の8時から布団に入る夜の11時くらいまで、ほとんど自分の部屋で過ごす。
仕事も読書もお酒も、自分の好きなものの中でなので、それほどストレスには感じない。

そんな2月最初の土曜日、僕の部屋に素敵な英国風のコーヒーテーブルがやってきた。
置こうと決めた場所は、部屋に入ってすぐに置いているインドネシアの古いイスのとなり。その椅子は、ウィスキーなどの洋酒と、それを飲むためのグラスを並べるテーブルとして使っていて、同じダークブラウンのコーヒーテーブルがとなりにあれば、色合いが統一された落ち着いた雰囲気になるだろうなぁと、そのお話をいただいたときに僕は直感的に思った。サイズも、今そこに置いている本棚として使っている組み立て式の棚とほぼ同じだと分かり、僕はすぐさま、「譲ってください」とお願いした。
しかし、コーヒーテーブルをそこに置くには、解決しなければならない重要な問題がある。
今そこにある棚と、その棚に置かれている本など丸ごと全部をどこかに移動しなければならない。
僕の部屋には移動できるスペースはない。さて、どうしたものか…

僕の部屋のクローゼットには、引っ越してきてから一度も手を付けていない「開けずの段ボール」が山ほど積んであって、8割ほどを占めている。ずっと整理しなきゃと気になっていたんだけど、行動を起こせずにいた。このタイミングでクローゼットの「開けずの段ボール」を整理すれば、棚を丸ごと移動できるスペースをクローゼットの中に確保できるかもしれない。この話は、僕にクローゼットの整理をさせるために、神様が仕組んだことなのかも…僕はマジでそう思った。
1月最後の日曜日、丸々1日かけて僕は「開けずの段ボール」と格闘した。
子どもの写真を入れている額や写真立て、大量のビデオテープ、結婚式のお祝い電報など、本当にいろんなものが出てきた。僕は感傷に浸ることを極力抑え、燃えるごみ用のごみ袋8つ分の断捨離を敢行し、棚が入るスペースの確保に成功した。そして神様はさらにすごいプレゼントを僕にくれた。僕が23歳くらいの時に買って、結婚して以来行方不明になっていた、ノーマン・ロックウェルの2枚の絵を見つけさせてくれたのだ。子供の写真立ての段ボール箱の中に。
僕は、この2枚の絵の存在を長い間(かれこれ25年くらい)忘れてしまっていた。2年前の2月9日、堂島の古書店で、ノーマン・ロックウェルの個展のカタログを見つけるまで。
そのカタログを見た瞬間、記憶がおぼろげだった当時住んでいた僕の部屋が、リアルに頭の中によみがえった。玄関から部屋までの廊下の壁にこの2枚の絵をかけていたんだ。

23歳頃の僕はアメリカに夢中だった。特に華やかなスポーツシーンにあこがれていた。衛星放送が今のように普及していなかったあの頃、リアルタイムでNBAMLBNFLなどのプロスポーツの情報を手に入れることは難しく、英字新聞を辞書片手に読み、ボブ・グリーンのコラムやジェイ・マキナニーの小説を読み漁り、古いアメリカ映画もたくさん観た。
そんな古き良きアメリカの日常を切り取って描いたのがノーマン・ロックウェルだった。
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2年前に出会ったノーマン・ロックウェルの個展のカタログは、1998年に大阪で行われた「ノーマン・ロックウェル展」のもので、僕はカタログのページを捲るたびに、行方不明になった絵のことを思いだし、もう出てくることはないだろうなと思った。
そして、カタログを見つけた日からちょうど2年後の1月最後の日曜日、その絵は奇跡的に僕の手元に戻ってきた。もしかしたら神様ではなく、この2枚の絵がコーヒーテーブルをこの部屋に招くよう仕組んだのかもしれない。
「ずっとそばにいるんだから、いい加減に見つけ出してくれよ」、と。

1週間後の2月6日土曜日の朝10時半、うちにコーヒーテーブルがやってきた。頑張って空けたスペースにすっぽりと収まった。想像以上にバッチグーだ。
これから部屋に馴染んでもっとバッチグーになるはず。
移動した棚は、移動前とほとんど同じ状態でクローゼットの中に納まっている。
その棚が元あった場所の壁には、お気に入りの絵やイラストがかけてあるのに、移動してきたクローゼットの中には、白い壁があるだけ。
僕は、クローゼットの棚の上の壁に、2枚のノーマン・ロックウェルの絵をかけた。前の場所の絵やイラストは全て作家さんが直接描いた本物だけど、思い入れは勝るとも劣らないこの絵をかけると、クローゼットの中のこの一角がさらに素敵なスペースになった。

そんな出来事からさらに1ヶ月が経った。相変わらず、不要不急の外出を控える生活が続いている。おうち時間がそれほど苦じゃなかった僕だけど、さらに苦じゃなくなった。僕の部屋に2つのお気に入りの場所が加わったからだ。コーヒーテーブルと、クローゼットの棚。
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コーヒーテーブルに簡単なおつまみを置き、部屋で本を読んだり、ラジオを聴いたりして過ごす時間が日に1、2時間あれば、僕は大丈夫だ。

ノーマン・ロックウェル展カタログ 非売品

みなさんへNo54 −平日の朝お弁当を作っています−

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新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

最近、美味しいご飯を食べたい、美味しいお酒を飲みたいと、以前にもまして思うようになってきました。
今の僕にとっての美味しいご飯やお酒とは、それなりのお金を払って、シックなお店で食べたり飲んだりする「よそ行き」の味ではなく、ゆっくりリラックスして食べたり飲んだりする、おうちごはんと普通のお酒です。
家で食べるおうちごはん、おかずを1品、2品、お汁ものが1品、それらを少しずつ、その日のお酒と一緒に1時間くらいの時間をかけてゆっくりといただく、それが僕にとっての最高に贅沢で心安らぐ美味しい食事の時間。
勿論、先にお風呂に入って、いつでも寝られる状態にしておくことがとても大切なことは言うまでもありません。
お昼に食べるお弁当についても、基本的には同じように考えています。限られた時間や環境の中で、いかに美味しいと思って食べられるかということを。

今大学2年生の次男が高校に入学した5年前の4月から、僕はそれまでより1時間早い朝5時半に起きるようになりました。
当時高校に入学したての次男が、部活の朝練で朝6時前に家を出るので、それより前に起きていないと親としての示しがつかないと思ったからです。そうです、ささやかなプライドのようなもの。
2年前の7月、3年生になった彼の夏の大会が終わり、ほとんど休まず頑張った朝練も終止符を打ったのですが、僕の5時半起床は、終止符を打つことなくそのまま続いています。
家を出る時間は7時40分から6時58分に変わり、8時前には会社に到着するようになりました。毎朝の電車も、8時過ぎの電車に比べればとっても快適で、元に戻す理由が見当たらなかったからです。
そして、長男が就職し、僕と同じく朝7時頃家を出るようになって以降、僕と長男のお弁当を僕がつくるようになりました。それまで僕の朝食やお弁当を作ってくれていた家人は、次男がゴソゴソ動き出す8時ごろに合わせて起床するように変更。要するに作業分担です。

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5時半過ぎのまだ誰もいない居間の電気をつけ、時計代わりにテレビをつけます。しばらくは天気予報やニュースをぼーと眺めて、5時50分くらいから冷蔵庫を開けて「さてさて…」とお弁当作りが始まります。スマホでラジオを聴きながら。
冷蔵庫から卵を2つ取り出して、一日おきにたまご焼きと茹でたまごのどちらかを作ります(作ると言えるのかはさておき)。
たまご焼きは、刻み葱を入れたり海苔を入れたりとバリエーションを増やすようにしていて、茹でたまごは、黄身を上手に半熟にするのがなかなかむつかしくて、茹で時間を必死に測ります。(昨日も失敗しました(笑))
その他のおかずも、たまご焼きの時は同じフライパンで焼くおかずにし、茹でたまごの時は同じ鍋でボイルできるおかずにします。洗い物を少なくするためにね。
冷食か昨晩のおかずの残りを使うことが多くなるメインのおかずは、朝の短い時間では作れない、唐揚げやハンバーグをちょっとアレンジしたりしなかったり。
野菜のおかずは、冷食のブロッコリーやインゲン、ほうれん草を粉末のお出汁とすり胡麻で和えたものや、カットされているミックスベジタブルに塩胡椒して、カレーパウダーや胡麻油などで手早く炒めたものなどを彩に。
ありがたいことに長男は、僕がつくるお弁当を文句ひとつ言わず食べてくれています。
だからこそ、手軽に作ることができるおかずがメインのお弁当だけど、少しでも美味しく食べてもらえるように、「ちょっとした工夫」を加えられたらなぁと、作りながらいつも考えているんですけどね…

美味しいごはんの定義って何でしょう?その食事をどれだけ楽しんで食べられたかということも、重要な要素ですよね。
時間に限りがある昼食と、ゆっくり食べられる夕食(晩食)とでは楽しみ方が違って当然。だから、それぞれの食事に対する向き合い方も違って当然。
僕にとっての夕食は、上質な睡眠をとるという意味でもとても重要で、入浴&夕食で完全に寛ぎ、布団に入るまでのちょっとの時間は、ぐっすり眠るためだけに使いたいんです。
お弁当は、午後からの仕事に向けてのエネルギーチャージという意味合いも含めて、短い時間に美味しく、午後からも頑張ろうと思いながら食べられることが大切。お弁当箱を開けたときや、箸で白いごはんを口に入れたときにどんな気分になるか…忙しく食べなければならなくても、お昼からの仕事のことで頭がいっぱいであっても、「あー美味しかった」って思いたいし、思ってもらいたい…「ちょっとした工夫」とは、こんな気持ちになったり、なってもらうためのささやかなひと手間です。
お弁当のことがいつも頭の片隅にある僕だから、大好きな本屋さんにふらりと入っても、料理雑誌のコーナーや料理本のコーナーに足が向いてしまいます。
時間をかけずに美味しく調理できるアイディアが書いてある雑誌、缶詰を使った簡単レシピ本などを手にとってはパラパラ捲ったり。
仕事帰りのそんな時間に、梅田の蔦屋書店で出会った薄っぺらい雑誌が、この普通の料理雑誌とは一味も二味も違う「DEAN&DELUCA MAGAZINE」です。

みんな忙しいから、食事を作る時間も摂る時間も蔑ろになりがち。それは仕方がないことだと思うんです。でも僕は、まずは自己満足でもいいから、家族においしいと思ってもらえるお弁当を作りたいし、そんな時間を持つことを前提に日々の24時間を作りたいと思っています。食事とは、前向きに生活するための基本中の基本で、絶対に欠かすことのできないお腹も心も満たす日常生活の大切な一部分だから。
このDEAN&DELUCA MAGAZINEには、そのヒントがたくさんあるように思いました。

DEAN&DELUCA MAGAZINE ISSUE 02
松浦弥太郎:編集 ㈱ウェルカム:発行

みなさんへNo53 −掃除のお手伝いと谷川俊太郎−

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僕は読書好きですが、そもそも本自体が好きなんです。本のある空間が好きです。本がある空間とは本棚がある空間。そう僕は本棚好きです!(笑)
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うちの本棚以外の本棚を見ると、ワクワクするというか、ドキドキするというか、いろんな本棚をたくさん見てみたいと思うから、僕は、ほぼ毎週末図書館に行くし、本屋さんに行くんだなぁって最近しみじみ思っています。
緊急事態宣言が発令されていた今年の4月から5月にかけて、僕は1カ月以上本屋さんや図書館に行けなくて、それが一番つらくてしんどい事でした。
家にいる時間が増えたとか、外でご飯を食べたりお酒を飲んだりする機会が減ったことなんて、僕にとってはそれほど大したことじゃなくて、多くの人が外出を控えることで、本屋さんをはじめとした大好きなお店が、大変なことになっていることに心を痛めていました。
このコロナ禍の中、僕らはどんな行動をとればいいのでしょう?
僕の一番苦手な場所は「人混み」です。だから、用事もないのに人の多い場所に行くことなんて絶対にありません。でも、お客さんが来なければ、お店は成り立たないですよね。
特に年の瀬の今、居酒屋さんなどの食べ物屋さんは1年で一番のかき入れ時だから、本当に大変なことだと思います。
とはいえ、客になりうるはずの僕たちも感染リスクのことを考えれば、たくさん人がいる場所にはできるだけ行かないようにすべきだと思います。これ以上医療に従事している人たちの疲弊度を上げることは絶対にしてはいけないことだから。
インフルエンザウィルスに感染したことが原因で亡くなる方は、日本で年間1万人以上いらっしゃるとニュースで知りました。新型コロナウィルスと単純に比較してはいけないし、比較できないことなんでしょうけど、やっぱりちょっと考えてしまいますよね。

そんな初冬を迎えたこの1ヶ月、新型コロナ第3波、なんて叫ばれている中、僕は、週末も仕事の日が多く、ストレスがたまりかけていたんですが、2週続けて休日には本棚がある空間に好きなだけ居られる時間を作れて、それはとても心が落ち着くいい時間でした。
僕が月に2回は訪れるお気に入りの街、神戸の元町周辺にはたくさんの古本屋さんがあります。10件以上あると思います。
西元町駅のあたりから三宮に向けて、休日に古本屋さんをめぐる3時間くらいの一人の時間は、僕にとっての癒しの時間です。
こんな時期だから、元町周辺の人通りも例年ほどではなく(ルミナリエも中止になってしまいました)、密にならずに古本屋さん巡りができます。さらに繁華街からちょっと外れた場所に店を構える古本屋さんも多くて、入ったことのない路地を歩きながら、感じのいい雑貨屋さんを発見したりして、そういうことも含めて、本当に素敵なリフレッシュタイムなのですが、この度、そんな元町にある大好きな本屋「1003」さんがお店を移転されることになり、12月5日の土曜日に新しいお店の掃除のお手伝いに行ってきました。
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「お手伝いしますよ〜」とお声がけしてはいたんですが、本当にお手伝いできるとは思っていなくて「お願いできますか?」と遠慮がちにお話をいただいたときには、「何をおっしゃいますやら!」とノリノリで新しいお店に伺いました。
新しいお店は、今のお店の南東に徒歩5分ほどの距離にあります。そこは、神戸の新しいスポットとして注目を集めている「乙仲通り」に面しているので、若いお客さんがたくさん来てくれそうな場所です。元町駅からも10分以内で着ける距離でめっちゃ便利。
5階にあるお店のドアを開けると、そこは思ったより広々とした空間。壁を黒く塗られたその空間はとてもシックな印象で、すでに店主さんのご主人手作りの本棚が10台くらい置いてあります。南側の壁が全部窓になっているので、日当たりもすごくよくて、どんなお店になるのか、イマジネーションが勝手に膨らんで、その日僕は、本棚、床、南側の窓の掃除をしたのですが、掃除中ずっとワクワクしっぱなしでした。
3時間半という短いお手伝いの時間でしたが、みんながいっぱい我慢をしなければならない今だからこそ、こういう形で大好きなお店の役に立つことができて本当によかったなぁって思ってます。僕の中で、より特別なお店になりました。

今回は、「店」と「客」という言葉が頻繁に出てきました。
客を待つ店と店に行く客、どっちが偉い?って質問に、「客」って答える人、結構いると思うんですけど、皆さんはどう思いますか?
僕は、一緒だと思うんです。どちらも同じように与え、与えられる関係ですから。
「一緒」という言葉には「同じ」という意味があります。そして「一緒」という言葉から、思い出す詩があります。谷川俊太郎の「地球へのピクニック」という詩です。この詩に出てくる「一緒」という言葉はきっと、「色々違っても僕らは同じ」という意味だと思うんです。

地球へのピクニック

ここで一緒になわとびをしよう ここで
ここで一緒におにぎりを食べよう
ここでおまえを愛そう
おまえの眼は空の青をうつし
お前の背中はよもぎの緑に染まるだろう
ここで一緒に星座の名前を覚えよう

ここにいてすべての遠いものを夢見よう
ここで潮干狩りをしよう
あけがたの空の海から
小さなひとでをとつて来よう

朝御飯にはそれを捨て
夜をひくにまかせよう

ここでただいまを云い続けよう
おまえがお帰りなさいをくり返す間
ここへ何度でも帰つて来よう
ここで熱いお茶を飲もう
ここで一緒に座つてしばらくの間
涼しい風に吹かれよう

こんな時だからこそ、ぜひ、お気に入りの本屋さんで、ひとりで本棚をゆっくり眺めてみてください。素敵な本がきっと見つかりますから。

谷川俊太郎詩集 
谷川俊太郎:著 角川春樹事務所