みなさんへNo52 −ハラビロ君の一生から時間の大切さについて考える−

f:id:fujimako0629:20201103133141j:image

うちの玄関先や小さな庭には、もう何年もカマキリが住み着いている。普段はほとんどその姿にお目にかかることはないけれど、ほぼ毎年、秋たけなわの10月になると、僕が見つけやすいところをうろちょろしてくれるので、僕は、「今年も会いに来てくれたんかぁ」と腕に乗せる。そういえば、今年は春にもちっこい姿を見せてくれたっけ。
f:id:fujimako0629:20201103133330j:image

f:id:fujimako0629:20201103133403j:image

ハラビロカマキリ」、それがうちの庭に住み着いている、カマキリの正式な名前だ。

 

10月半ばのよく晴れたぽかぽか陽気の昼下がりのこと、庭用サンダルの横に、ハラビロカマキリはいた。野良猫のトラの攻撃を受けていた。
そのハラビロカマキリは、トラの猫パンチを受けて、防戦一方になっていたので助けてあげた。助けてあげたというのに、ハラビロカマキリは、僕の左手の薬指に鎌をぎゅっと食い込ませた。随分なご挨拶だ。でも、僕は嬉しかった。そろそろかな、と思っていた矢先のことだったので、気持ちが通じたような気がしたのだ。僕はその子にハラビロ君と名付けた。

 

ハラビロカマキリは、オオカマキリの半分くらいの大きさで、お腹がぷにょっと太くて柔らかい。そして、羽に白い斑点が付いているのが特徴で、関東より南に分布しているそう。成虫でも体長5センチくらいにしかならないハラビロカマキリは、愛嬌があって可愛らしい。

 

僕は、助けたハラビロ君の食い込んだ鎌をほどき、彼の緊張が解けるのを待って、腕に来るように誘導し、しばらく眺めて写真や動画を撮った。ハラビロ君は、右の鎌の先を口にもっていき、メンテナンスを始めた。めっちゃ愛くるしいしぐさだ。
ただ、ちょっと元気がないのが気になったので、僕は、ハラビロ君を部屋の中から網戸にたからせ、庭に出てバッタを探した。原っぱみたいな庭だから小さなバッタはすぐに見つかる。
芝生の上を注意深く歩いていると、緑色の小さな生き物がぴょんと跳ねる。
その子をそっと捕まえれば、かわいそうだけど、たぶんお腹が減って元気がないハラビロ君を元気にできると思い、その小さいバッタも、ハラビロ君のそばの網戸にたからせた。

 

僕は、過去に何度もこの季節にハラビロカマキリに出会い、しばらく飼った経験があるので、捕食の瞬間をたくさん見てきた。
餌となる昆虫の存在に気付くと、ハラビロカマキリは、身体を前後にゆすりながらそっと近づき、2つの鎌(前足)で標的のバッタやコオロギを素早く挟み、動けなくして食べ始める。
そんなある意味獰猛な動きでさえ、可愛らしいと思う。とにかくすべてのしぐさに愛くるしさがあるのだ。

結局その日、ハラビロ君は餌のバッタに手を付けなかったが、翌朝になるとハラビロ君だけが網戸にいたので、夜中に彼は、バッタを食べたんだと思った。
あいにくその日は雨。僕はハラビロ君を雨がやんでから庭に放してあげようと思い、そのまま会社に向かった。
その日の雨は夜になっても上がらず、じっと動かないハラビロ君を僕はもう一晩網戸にたからせたまま眠りについた。

 

次の日の朝、ハラビロ君はいなかった。網戸のどこにもいなかった。その代わり、バッタが網戸にいた。僕は、えっ?と思ってハラビロ君を探した。
本当にどこにもいない。それよりなんでバッタが網戸にいるんだろう?僕はバッタを庭に放った。
そして、もしやと思い、床の窓のレールに目をやった。
ハラビロ君はそこにいた。もう天国に行った後の抜殻になっていた。
昨日、雨が降っていても、ハラビロ君を庭に放してやればよかった。庭で命を全うさせてあげたかった。
本来なら、雌のハラビロちゃんに出会って、完全燃焼で命を全うできればよかったんだけど、野良猫トラのパンチを喰らっていた時から、もうきっとヘトヘトだったんだろう。
春先の庭の、多分桜の木の枝に植え付けられた卵から、数百匹のハラビロカマキリの赤ちゃんが生まれて、そのうちの1匹がこうして大人になった姿を僕に見せて人生を全うする。
僕にとってはたかが半年だけど、ハラビロカマキリにとっては、一生だ。
人間の半年とカマキリの一生…時間の流れについて思いが巡る。

 

時を同じくして「時間」をテーマにした懐かしい本に再会した。「モモ」という児童書。小学校の高学年向けの本だ。
僕はこの本を小学校の図書室で見ている。読んでいるかもしれないけれど、記憶からは消えている。その本を元町の古本屋さんで見つけ、懐かしい図書室の映像や匂いが蘇った。

 

中世のイタリアの建造物を思わせる円形劇場に住んでいる「モモ」という名の少女が、灰色の男たちが運営する「時間貯蓄銀行」に、騙されて預けた人間の「時間」を取り戻すために奮闘する不思議な物語だ。

 

時間が進むと当たり前だけど、僕たちはその分歳を取ると同時に、何かしら経験する。幸せな経験ばかりじゃなくて、つらい苦しい経験だってする。歳は取りたくないし、辛い経験もしたくないけど、時間は止められない。「時間を無駄にしてはいけない」ってよく言うけど、ずっと気を引き締めて集中なんてできないし、そもそも人生の30%くらいは寝てる時間だ。「無駄な時間の使い方」…いったいどんな風に過ごす時間が無駄なのかちょっと考えてしまった。ハラビロ君とモモがいいテーマを僕にくれた。

 

モモ
ミヒャエル・エンデ:著 大島かおり:訳 岩波書店

みなさんへNo.51 ー歩くことの楽しさについてー

f:id:fujimako0629:20201011063903j:image

歩くことが好きです。最近特に、歩くことを心がけています。
元々は、ダイエットのために週末は自転車(マウンテンバイク)で20キロ30キロ走り、平日の会社の帰りに最寄駅の二駅手前で降りて歩いて帰ったりしていました。その1キロ10分ペースで40分ほど歩く時間が、とても気持ちいい時間だと気づいた時から歩くのが楽しくなりました。夏場は長い距離を歩くのは大変なので、それ以外の季節に、仕事終わりのJR西宮駅から、自転車を置かしてもらっていた自転車屋さんまで、ちょうど4キロの道のりを、週に2〜3日歩いていました。今から17年くらい前のことです。
当時僕は、マウンテンバイクに夢中になっていて、自転車のことを考えて歩くのがたまらなく好きでした。
家や会社で嫌なことがあっても、大好きな好きなもののことを考えながら、(時にはぶつぶつ言っていたかもしれません)ある程度の時間歩くと、気分がとてもすっきりし、前向きに気持ちを切り替えられると知ったんです。
それ以来2、3キロの距離なら当たり前に歩くようになり、今、健保組合が主催している
『健康ウォーキング100万歩チャレンジ』
に挑戦しています。
9月1日から11月の30日までの計91日間で、100万歩歩けば達成というこの企画、達成のためには1日平均1.1万歩歩かなければなりません。僕の歩幅は約0.75メートルなので、8.25キロ歩いて1.1万歩です。
僕は今、会社までの経路の中で片道約3.5キロ歩いてます。
往復7キロ。なので、後1.25キロ歩けば計算上達成です。
社内の移動や、仕事で外出するときの距離も、もちろん加算しますから、残りの後1.25キロはそれほど大変なことではないのですが、週末の2日、平日と同じように歩くわけではありません。二日酔いの土曜日なんて、百歩程度なんてこともしょっちゅう。
さらに、僕はスマホで歩数を計算しているので、常にスマホを持って動いているわけでもないので、週末のたらない分を何とかしないと1日平均1.1万歩、3ヶ月100万歩には届かないんです。じゃあ、どうするか?
週末たくさん歩くか、平日もっとたくさん歩くか、です。
僕は、週末たくさん歩く作戦を実行しようと思いました。
週末のどちらかは、梅田方面、三宮方面に行くことが多く、動きさえすれば、1万歩以上は歩くので、出かけない方の日にいかに歩くかということにかかっています。
僕の歩くスピードは10分で1キロ。要するに時速6キロ。
8.25キロ歩くためには1時間23分歩く必要があります。
そこで、家からよく行くスポットまでの距離を調べました。
関西スーパー」まで1.3キロ(13分ほど)、「やまや」まで2キロ(20分ほど)みたいに。
また、家を出発してぐるっと一回りして戻ってくるコースも、何種類か調べました。海沿いを歩いて、鳴尾御影線に行って、ローソンから南に降りて戻ってくるコースで4.5キロ(45分)、とかね。楽しく、無駄なく1.1万歩を目指すためのちょっとした準備です。
調べた中で、一番遠いよく行くスポットは東灘図書館で3.8キロでした。

先週の土曜日、東灘図書館に予約本を受け取りに行って、その足で大阪の堺筋本町駅近くのカフェで行われている、絵のタッチが大好きな若手イラストレーター、タカダミユキさんの個展を拝見しに伺いました。
f:id:fujimako0629:20201011063954j:image

僕は、こういう場合なら電車を使うのですが、さっそく歩いて図書館に行くことにしました。40分弱の道のりです。
実はその日、僕は、軽くお腹を壊していました。正確には前日の金曜日の午後から。
壊していると言っても、大したことではなく、お腹の中がきれいになればそれでお終いという程度のもの。とはいいつつ、少し不安だった僕は、トイレに行ってから出かけました。
その甲斐あってお腹に違和感なく図書館までたどり着き、本を2冊受け取り、初めての場所に行くことを考慮して、もう1度トイレに入ってから、最寄駅に向うことにしました。
借りた本の1冊を図書館のトイレでパラパラ眺めていると、不意に、こうして借りた本をトイレでパラパラ眺めて、そのまま忘れて行っちゃう、ちょっと残念でかわいそうな人って、やっぱりにいるんだろうなぁ、なんてことが頭をよぎりました。
念には念をと注意したおかげで腹痛はすっかり良くなり、その後お腹を気にすることなくカフェにも無事到着して、じっくり絵も拝見でき、作家さんからもいろんなお話を伺えたんですが、話のネタにと借りた本が、カバンの中にないんです。
図書館のトイレで読んでいた本です。
すぐに図書館に電話を入れると、親切な人が、僕がトイレに置き忘れた本を受付にちゃんと届けてくれていました。
そうなんです。図書館のトイレでふと思った、ちょっと残念でかわいそうな人とは僕の事だったんです。(涙)
図書館に忘れた本は「自分の薬を作る」というタイトルで坂口恭平さんという方が書かれた本。まだ図書館のトイレで15ページほどしか眺めていませんが、この本は、絵を観に伺ったタカダさんのSNSで知り、読んでみたいと思った本なのでした。

双極性障害(躁うつ病)という病気を抱えている坂口さんは、その病気を、薬に頼ることなく自分で自分に合った薬を作って上手に付き合うことを、この本で紹介されています。
自分で薬をつくるとは、心が弱くならないための日課や習慣を作ること。そのことは、凄く共感できることで、規則正しく自分の行動を自分でコントロールできるようになれば、心の浮き沈みさえもコントロールできるようになるかもしれないって思います。
落ち込んだり、元気になったりの繰り返しって誰にでもあることだし、僕は心の病気を持っている人のことをできる限り知って、特別扱いをすることなく、普通に接したいと思います。僕だって、いつ心の病気になるか分からないんだからね。

自分の薬をつくる
坂口恭平:著 晶文社

みなさんへ No.50 −アシナガバチの巣を駆除した話−

f:id:fujimako0629:20200904102739j:image

もう9月に入ったというのに、毎日暑い日が続いていますね。
みなさん、夏バテ…いや秋バテしていませんか?僕は、ちょっとバテ気味です。
今年の夏も、例年と変わらない35度オーバーの夏で、「もう慣れっこやわ!」と言いつつも、僕の内側(内臓)はちょっと元気がない日が続いたりして、「なんだかなぁ」と思っているのですが、僕の外側ではいつもの夏とは違う「あれ?」と思うことがありました。それはアシナガバチを庭で頻繁に見ることだったんです。
彼らは、知らん顔しておけば、人に危害を加えることはほとんどありませんから、あまり深く考えることなく「またおるわ…」とスルーしていたのですが、先日、スルーできない事実について家族から報告を受けました。隣の家との、人が一人通れるくらいの隙間に、布団干しを畳んで置いているのですが、そこにアシナガバチが巣を作っていたんです。それも、今まで目にした中でも一番大きいかも、と思われるくらいの巣を。
f:id:fujimako0629:20200904103012j:image

仕事から帰って家人にそのことを聞いた僕は、懐中電灯を持って庭に出て、そっとお隣との隙間を覗きました。
そこには、直径10センチはゆうにあると思われる大きなアシナガバチの巣がありました。
働きバチが10匹ほど巣にたかっています。
家人いわく、風が強い時など、たまに2階のベランダに干している洗濯物が、お隣の家との境目に落ちることがあるので、落ちてないかと定期的に確認をしているそうで、その日確認した時に、落ちている子供の部屋着とともに見つけた、とのこと。
僕は正真正銘の田舎育ちなので、子供のころ、アシナガバチなんかブンブン飛びまわっていましたし、何度も刺されました。家の周りのあちこちに巣があり、当たり前の存在でした。
でも、だとは言え、あれくらい大きいアシナガバチの巣は、本当に見た記憶がないように思います。

さてさて、どうしたものか?
あのままにしておくわけにはいきません。駆除しないと。今思えば、薬局に駆除用のスプレーを売っているよなって思うんですけど、その時はそういう方向に頭が回らず、自分の力で何とかしなきゃと真剣に考えていました。
バケツに水を汲んで、巣をめがけてありったけの力で水をぶちまけ、一目散に逃げるか?
木の枝を切るための持ち手の長い剪定鋏で巣を切り落として、一目散に逃げるか?
それくらいしか思いつきませんでした。
でも、逃げ足は結構早い方なので、思い通りにできれば、なんとかなるだろとは思っていました。
できるだけ早く実行しないと、次から次へと働きバチが増えるので、次の土曜日が決戦の日です。
そして土曜日、まず、バケツに水を入れて巣にそっと近づいたのですが、偵察バチみたいな役割のハチがブンブン飛んでおり、また、そばに植えているユーカリの枝をかき分けながらの作業になるので、あっさり断念。柄の長い剪定鋏で巣を切り落とす作戦も、鋏を入れるスペースが狭く、一発で決める自信がなく、こっちも断念。
じゃあ、どうするか?
いい案を思いつきました。2階のベランダから巣にめがけて水を落とす作戦!!…いや、ここまで来たら水ではなく、お湯を落とす作戦!!
僕は、汗だくになりながらお湯をたくさん沸かし、巣にめがけて間隔をあけて3回ジャーっと落としました。3回とも見事に命中。しかし、巣にお湯が当たった瞬間巣から飛び立った働きバチが巣に戻ってきて、巣を切り落とすことができません。
それどころか、必死に巣の穴の中にいる幼虫に寄り添い、世話をしようとしているのです。
熱湯が3回もかかっているんですから、幼虫は生きているはずはありません。
巣のそばで見ていると、泣きながら必死に、
「おーい、返事せー。なんでや、なんでや!」
と幼虫に向かって大声で叫んでいるように見えて、自分のしたことを顧みるというか、切ない気持ちになりました。
その後しばらくして、生き残ったハチたちは、諦めたのかどこかに飛んで行ってしまい、巣はがらんと無防備な塊になりました。
僕は、その巣を剪定鋏で切り落としました。
地面に落ちた巣に蟻がすぐさまたかり始めるのを見て、僕は、さらに何とも言えない気持ちになりました。これが自然の摂理なんやなぁ…

虫たちは、必死に純粋に一つの事だけを信じて生きています。
短い命をそのことだけに燃やします。自分たちの命が繋がっていくことだけを信じて。

 

さて今回ご紹介する本は、吉田篤弘さんの短編小説集「月とコーヒー」です。
1編が10数ページの短編小説が24編納められています。
まだ2編しか読んでいませんが、人の普段外に出さない、自分の中だけで大切に持っているものにスポットを当て、優しく言葉に紡いだ物語が集められている本のように思いました。
吉田篤弘さんの本は、この「月とコーヒー」が初めてなのですが、書かれている文章の雰囲気がとても好きで、声に出して読みたくなる本です。

 

f:id:fujimako0629:20200904102926j:image

今、裏庭に、アシナガバチの抜け殻の巣があります。僕が無防備な塊にし、その後、自然の摂理で抜け殻になりました。
僕は、悪いことをしたんでしょうか?…いや、していません。
やるべきことをやったんです。
だけど、未だにちょっと切ない気持ちが残っています。だれかにこの気持ちを何とかしてもらいたいくらいです。
あっ…そっか、この本が何とかしてくれるかもしれませんね。

 

月とコーヒー
吉田篤弘:著 徳間書店

みなさんへ No49 ーメダカの赤ちゃんが生まれました!ー

f:id:fujimako0629:20200814232241j:image

僕は、植物や小動物を育てるのが上手ではない。エアプランツや多肉植物など、何度枯らしたことか。そして、猫や犬は飼えないけれどメダカなら飼えるだろうと、ガラスの花瓶や睡蓮鉢で飼い始めるのだけど、上手に育てられなかった。


そんな僕だけど、最近、少しは彼らの気持ちに寄り添えるようになったようで、植物は枯れにくくなったように思うし、メダカについては、めっちゃうれしいことがあった。

それなりに気を使い、可愛がっていたつもりだっただけど、結局それは自己満足で、相手の身になって、何をすべきか考えられていなかったことが、枯らしたり、死なせたりした原因だと気付き、水や餌のやり方、メダカの水の正しい換え方など、いろいろ調べ、正しいと言われているやり方に変えた。

f:id:fujimako0629:20200814231849j:image

例えば、メダカの水は、カルキを抜いた水であっても、全部を入れ替えるのは良くないのだそう。そういうちょっとした気配りが、植物やメダカに少しずつ伝わり、結果が出てきたのだと思う。

ただ、エアプランツについては、水やりも週に3日程度夜に行うようにし、ソーキングもしているんだけど、これからどうなることやら。なかなか変化が現れない植物だから今、

元気なのか、弱り気味なのか、よくわからないからじれったい。

メダカは、2匹いて、基本的に日当たりの良い室内で飼っていたんだけど、入れている水草が少しずつ小さくなってきたので、いつもメダカを買う、昔ながらの金魚屋さん(小鳥も売ってる)でアナカリスという水草を買ってきた。今入っている水草と同じ水草だ。

短いのが2本ほどあれば十分なのに、売ってるのは、長いのが5本くらいで200円。

メダカを入れているガラスの花瓶には、水草が1本あれば十分。長いのを途中でカットして水に入れ、残りの水草は庭に置いていたバケツに水を張って入れた。

これからの時期、水たまりがあると、そこにボウフラが湧く。

それを防ぐために、その店でメダカを5匹100円で買ってきて、そのバケツに入れた。それが4月の終わりのこと。

そしてその後、そのバケツの中の生き物たちが、嬉しいことにめちゃくちゃ元気なのだ。

f:id:fujimako0629:20200814232151j:image

アナカリスは7月の中旬まで、毎日のように白い可愛い花をつけていたし、メダカたちも食欲旺盛で見る見るうちに大きくなっている。

そしてある日、驚きの発見があった。

その日は休日で、いつものように朝、餌をやりに庭に出て、餌を撒いたバケツを見つめていた。10秒ほどすると、底の方からメダカが餌に気付いて、1匹2匹と水面に上がってくる

ので、僕は、「1匹、2匹、3匹…」と目で数えて、5匹いることを確認する。

すると、視界の隅っこに何か動いた気配が。

目線を移すと、3ミリほどの赤ちゃんメダカが1匹泳いでいるではないか!

僕は「えっ」と思いながらその子を追った。すると、もう1匹赤ちゃんメダカがいて、「うわぁ」と声を上げてしまった。

もっといないかと目を皿にして探したけど、結局2匹しか見つからなかった。たった2匹だけど、赤ちゃんが生まれたことに、僕はめっちゃ興奮した。

メダカのお母さんは一度にどのくらいの卵を産むんだろう?

メダカを元気に育てることもままならなかった僕は、そんなことなど知るはずもなく、その場で調べ、10個から20個ほど生むと知った。ということは、生んだほとんどの卵もしくは生まれたばかりの赤ちゃんメダカは、5匹いる大人メダカに食べられてしまったということになる。僕はすぐさま400㏄の水が入るガラスのコップに2匹の赤ちゃんメダカを入れ、居間の日当たりの良い窓辺の棚の上に置いた。そしてその日は、数えきれないほどそのコップを眺めた。上から、横から、斜めから。小さくてまだ色が薄い2匹の赤ん坊は、見つけるのが大変で、その日から僕は、「あれ、いない?」とか言いながらコップを見る、ドキドキワクワクの毎日が始まった。

そんな日々のスタートが、1ヶ月半ほど前のこと。

f:id:fujimako0629:20200814231451j:image

そして今、そのコップは睡蓮鉢に変わり、10匹以上の赤ちゃんメダカが泳いでいる。

6月の終わりに初めて赤ちゃんを2匹見つけて以降、お母さんメダカが2度卵を産んだ。最初に生まれた2匹の赤ちゃんメダカは、残念ながらいつの間にか1匹だけになってしまっ

たけど、その子は、1ヶ月ちょっとで親メダカの1/3くらいまで大きくなり、今は生まれたバケツに戻り、親メダカたちと一緒に元気に泳いでいる。


そんなメダカの元気な姿を眺めながら、僕は子供のころを思い出す。

家の前の川でよく遊んだよなぁ。川の浅瀬にはオイカワやウグイの稚魚がたくさんいて、水に入ると、脚に寄ってきて、つんつん突かれるのがめっちゃくすぐったくて。そして僕らは、その稚魚を「メダカ」と呼んでたよなぁ…なんて。


地元の川には、魚以外にも当たり前だけど、いろんな生物がいる。それらの一部は、春から夏にかけて羽のある昆虫に変身する。ある特定の時期の夕方から夜に彼らは変身して、子孫を残すための相手探しの旅にでる。そして街灯や家の窓明かりに引き寄せられるのだ。

今住んでいる神戸の家のそばにも、小さいけれど綺麗な川が流れている。本当に綺麗な水なのに、魚を含めて生物があんまりいない。夜、最寄り駅から家までその川のそばを歩いて帰るんだけど、虫が街灯に集まっているのを見ないし、うちの網戸にも虫はたかっていない。

生物が隠れることができる水生植物も生えているのに、なぜ生きものが少ないんだろう?

そんな質問をしてみたい先生の第1番手が養老孟司先生だ。大好きな養老先生の新しい本の存在を新聞で知り、さっそく図書館で借りてきた。養老先生と京大総長の山極寿一先生の

共著だ。京大総長であり人類学者である山極先生は、ゴリラ研究の第一人者で、解剖学の権威である養老先生は、ゾウムシの研究家で、昆虫の生態に詳しい。

養老先生は鎌倉に、まるという年老いた猫と住んでいる。先日NHKの密着番組が放送されているのを観た。地球やそこに住むすべての生き物に対する愛について、整然と論理的に語りきる養老先生を僕はひそかに尊敬している。


虫とゴリラ 

養老孟司、山極寿一:共著 毎日新聞出版

みなさんへ No.48 −スポーツのない春と夢について−

f:id:fujimako0629:20200626224750j:plain

夢の正体


僕は、「禍(カ、わざわい)」という言葉をほとんど使ったことがなくて、「コロナ禍」という文字を見て、一瞬「コロナ鍋」かと思ってしまったくらいです。(笑)
問題:「○○禍」という言葉を「コロナ禍」以外で1つ挙げよ。
どうです?出てきますか?
僕は出てきませんでした。だから調べました。すると聞いたことのある言葉が一つ見つかりました。
「戦禍」です。「せんかを逃れ…」とかいうじゃないですか。
僕は「せんか」という言葉の音だけを聞いて「戦下」もしくは「戦火」だと思っていました。
戦禍以外にもペスト禍、コレラ禍など、やはり病気の蔓延時に使われていたようです。
さて、早春から現在に至るまで、私たちは「コロナ禍」の影響をもろに受けて、不自由な生活を強いられています。
外出を抑制され、マスクは当たり前。三密を避けるために、スーパーマーケットの外で2mくらい間隔をあけて並ばされたりもしました。

そしてようやく、梅雨真っ盛りの6月19日、3ヶ月遅れでプロ野球が開幕しました。開幕して気付きました。僕たちは、スポーツのない春を初めて経験したんだ、って。
でも、なんか違和感がやっぱりありますよね。ファンがスタンドにいないから、当たり前だけど、歓声もありません。だから、ミットにボールが収まる音、バットにボールが当たる音、選手たちの「ウェーイ」…観客が入った試合では聞こえなかった沢山の音が聞こえてきます。それはとても新鮮な体験ですが、やはりなんか寂しいです。
とはいえ、始まりました。始まって、こんなにワクワクドキドキするんだって気が付きました。お家時間が嫌いではない僕でも、やはり少しストレスがたまっていたようです。
早く大歓声のスタジアムが戻ってきてほしいなぁ。もうすぐJ1も再開です。
なんでこんなに嬉しいんだろう…こんなことになる前は、ニュースでいいとこ取りの映像と結果さえわかればそれで満足していたのに、今は、ラジオで実況中継を聴いたりしています。阪神は全然あかんけど。
やっぱり僕は、スポーツを見ることに飢えていたんだと思います。
全てのスポーツがこの春、一瞬で目の前から消えてしまいました。陸上やテニス、バスケやゴルフも…プロスポーツに限らず、アマチュアスポーツまで全部が。
目先のことで我慢することが多すぎて、緊張もしていたし、正しい行動をすることで精いっぱいで、スポーツがない日々が自分に及ぼした影響について深く考えもしなかったけど、
当たり前ってありがたいなぁって改めて思います。
そんな中、中止になったセンバツ高校野球の代表校が甲子園で1試合だけ試合ができるというニュースが飛び込んできました。
そして、野球部に属している高校3年生全てに、甲子園の土が入ったキーホルダーがプレゼントされることにもなりました。球児たちは、健気に気持ちを抑えていたと思うので、本当に本当によかったです!そして、野球などのスポーツに限らず、こういう動きが様々なところに波及することを願っています。
今こそ僕たち大人が知恵を絞る時です。
東京の状況がちょっと気になるんですけど…
東京では、50人を超える感染者が出る日もあって、緊急事態宣言は解除されたとはいえ、まだまだ気を許してはいけないようです。第2波、第3波のことも十分想定していなければ。
とはいえ、僕は新型コロナウィルスに対して、必要以上に怖がらないよう心掛けています。
あたりまえですが、「夜の街」にバンバン繰り出す、なんて馬鹿げたことはしません。人がたくさんいるところは避けるようにしています。
今、僕たちが一番してはいけないことは、怖がりすぎて、免疫力を下げることだと思っています。免疫力を下げないためには、ストレスを溜めないことが一番。そのためには、規則正しい生活がとても大切です。あっ、あと阪神タイガースが勝つことも大切。(笑)
では、規則正しい生活をする上で一番大切なことはというと、睡眠です。ぐっすりたっぷり眠ること。最低6時間は寝たいと思っているのですが、出勤している日は、家に帰るのが夜9時を回ることが多く、そこからお風呂に入って、食事して、ちょっとボーとしていると0時前後になってしまい、朝は5時半に起きるので、6時間寝られない日が多いんです。
なので、楽観的に「一週間に最低42時間寝る」と決めて、土日に取り戻すようにしています。週に5日は平均5.5時間寝るので、土日は最低7.25時間寝るようにする、というふうに。そうすると、土日に夜10時に寝るようにすれば、ミッションポッシブルです。

ということで、今日紹介する本は「夢」の本です。
この本に書かれている夢とは、さっき出てきた、目標の意味に近い、設定する「夢」ではなく、寝ているときに見る「夢」についてです。
みなさんは、見ている夢が夢だとわかって見た経験はありませんか?夢と分かってみる夢のことを「明晰夢」というのですが、僕は何度もあります。
一度目覚めて、今見ていた夢のことを考えているうちにそのまま、同じ夢の世界に入っていくことがよくあります。夢について過去にどんな研究がなされてきたのか、現在どんなことが研究されているのか、そして「明晰夢」のことなど、夢について科学した本が、今日紹介する「夢の正体」です。
不思議な夢、楽しい夢、怖い夢、いろんな夢を見ますよね。怖い夢をより多く覚えていると思いませんか?怖い夢のことを多く覚えているのは、目が覚めて覚醒するのが早いからだそうです。ボーっとしてる間に夢って忘れちゃうんですね。

夢の正体 〜夜の夢を科学する〜 
Why We Dream  The Transformative Power of Our Nightly Journey
アリス・ロブ Alice Robb:著 川添節子:訳 早川書房

みなさんへ No.47 ーさくらねこをご存知ですか?-

f:id:fujimako0629:20200602234029j:image関西の緊急事態宣言は解除になりましたが、僕は引き続き、週に2日くらい在宅で仕事をしています。
ありがたいことに自分の部屋をもらっているので、家族に迷惑をかけることも最小限で済んでいると勝手に思っているのですが、実際のところどうなんでしょうね。
僕の部屋の奥には小さな庭があり、その庭を眺めながら仕事をしているんですが、可愛らしいお客さんが頻繁にやってきます。このことは、前回の「みなさんへ」でも書きました。気分転換になっているって。
そのお客さんとは野良猫なのですが、ちょっと気になることに気付いて調べたことがあるんです。
うちの庭にやってくる野良猫のうち、半分くらいの猫は片方の耳の先端がVの字のようにカットされています。初めて片耳がカットされている猫に気付いたのは3月の初旬。茶色と白い柄の猫でした。その時は、喧嘩でもして噛みちぎられたのかな?くらいに思っていたのですが、その猫と凄く仲の良い、茶トラ柄の猫の片耳もV字にカットされていたんです。
これは何かあるぞ、ということで調べてみました。
あの子たちは「さくらねこ」と呼ばれる野良猫だったのです。
カットされている耳の形が、1片の桜の花びらに似ているからそう呼ばれているそうです。

さて、うち家の近所にはたくさんの野良猫がいます。夜9時ごろ、帰宅のためにうちの近所を歩いていると、たくさんの野良猫に出会います。生まれてまだそれほど経っていない子猫も見かけます。そんな環境にあるうちの庭には、7匹の野良猫がやって来ます。僕が在宅勤務中や土日に見かける猫たちです。
茶トラ柄の子が2匹、茶色と白柄の子、黒い子が2匹、グレーのロシアンブルーっぽい子、そしてキジトラ柄の子です。
f:id:fujimako0629:20200602234201j:imagef:id:fujimako0629:20200602234237j:imagef:id:fujimako0629:20200602234504j:imageどの子もみんな仲良しで、うちの小さな庭で丸まって寝たり、じゃれ合ったり、外においてあるメダカの鉢の水を飲んだりとリラックスしている様子。
そんな7匹の野良猫のうち4匹の耳がV字にカットされているんです。茶色と白い柄の子と茶トラ柄の子、黒い子とキジトラの子です。
では、さくらねこはなぜ片耳がV字型にカットされているのか?
それは、不妊手術が行われている猫だということを表すためなんです。この活動は「どうぶつ基金」という公益財団法人が行っています。

現在、保健所で保護され、飼い主が見つからず殺処分される猫が何匹いるかご存知ですか?
どうぶつ基金のホームページによると、2015年度の殺処分件数は6.7万匹、2016年度は4.5万匹。なんと、遡ること今から14年前の2006年度は23万匹の猫が殺処分されていたとのこと。
この数字と変遷をどう見るかですが、僕は、4.5万匹と聞いて、すごい数だなぁ、というのが第一印象でした。
とはいえ、1年で2万匹以上の殺処分数が減っているわけで、さらに過去10年間で1/5にまで減少していることにも驚きました。なぜここまで減ったのかという疑問とともに。
良い機会だから、猫の生態についてもちょっと調べてみました。猫は生後半年で赤ちゃんを産める体になるんだそうです。
そして1回の出産で平均5匹の赤ちゃんを産み、年に3回の妊娠が可能なんだそうで、地域猫(どうぶつ基金は、野良猫のことをこう呼んでいるので、それに合わせて以後このよび方)を放っておけば、地域猫は爆発的に増えていくんです。
そんな事実がある中、この10年間で確実に殺処分が減少していて、直近のデータでは、1年間で2万匹以上の殺処分が減っている一番の要因が、このさくらねこの活動なのです。
ちなみに雄猫は右耳、雌猫は左耳がカットされているんだそうで、うちの庭にやってくる子たちで確認したところ、すべて右耳、つまり不妊治療が行われた雄猫が4匹、うちの庭に
遊びに来ていたんですね。残りの3匹のうち茶トラのもう1匹は雄なんですが、あと2匹の性別はまだ確認できていません。

罠を仕掛けて地域猫を捕獲し(Trap)、その場で不妊手術を行い、耳をV字にカットし(Neuter)、罠を仕掛けたところにまた放す、(Return)このTNRを地道に行うことが、猫の殺処分を減らす一番の近道なんだそうです。これらすべてどうぶつ基金の方々や地域のボランティアさん、獣医さんの努力の賜物。地道な活動に頭が下がります。

話は全く変わりますが、初期の村上春樹さんのエッセイには猫の話題がよく出てきます。村上さんはめっちゃ猫好きで、猫とずっと一緒に生活しておられるようですね。5/22にオンエアされた村上Radioで、好きなものに猫の肉球を上げておられましたし。
僕は、初期の村上作品の中で、特にイラストレータ安西水丸さんとのコラボ作品が好きで、何度も読み返しながら30年ほどずっと手元においています。しかし、持っていない本が数冊あり、当時の単行本が欲しくて、古書店さんで出会うのを根気強く待っているのですが、この度、長い自粛要請が解除され、最近再びお店を開けられた古書店さんのSNSで、そのうちの1冊「村上朝日堂の逆襲」を発見し、この土曜日に受け取ってきました。神戸の元町にある「1003」というお店です。
僕は、10代後半から40歳くらいまで、村上作品を夢中になって読んでいました。そんな作品をまた手に取ってパラパラめくるのも、まだまだおっぴろげに外出できない、今のおうち時間を快適に過ごすいい方法だと気づきました。ついでに、本棚の掃除をしたりしながらね。
そして猫は、新型コロナウィルスに感染しやすい動物らしく、極端に近づけませんが(猫から人に感染した例はまだないみたいですど…)、庭にやってくる7匹の地域猫たちも、在宅ワークを助けてくれる存在であることは間違いありません。
みなさんも、昔読んだ本を本棚から引っ張り出してパラパラめくってみてください。自分を再発見できるかもしれません。

村上朝日堂の逆襲
村上春樹:著 安西水丸:絵 朝日新聞社

みなさんへ No46 -今の我慢を今後の人生に生かすために、今は内にいよう-

f:id:fujimako0629:20200430201957j:image随分朝が早くなって、夜の訪れが遅くなってきた
僕の住む阪神間では、ソメイヨシノが葉桜になり、濃いピンクの八重桜の見ごろもあっという間に過ぎ、今、ハナミズキの花が満開だ。
そんな春爛漫の4月の終わり、僕たちはできる限り内にいる生活をしなければならない。
でも、それは仕方がないことだ。こうなった以上文句を言っても何の解決にもならない。
今、僕は在宅で仕事ができる日はできる限り在宅で仕事をするようにしている。もうちょっと突っ込んで言えば、在宅で仕事をしなければならないと思っている。
もし新型コロナウィルスに感染し、発症してしまったら、見ず知らずの人にうつしてしまうかもしれない。その方が重症化して亡くなってしまうかもしれない。そんなこと想像もしたくない。そして、今まさに最前線で未知のウィルスと戦ってくださっている医療に従事されている方の負担を増やすことになってしまう。こっちも絶対に避けたい。
自分の事より、この2つが現実になる方がずっとずっと怖い。
ということで、今はできる限り内にこもる必要があると思っている。

僕は、一人でいることが嫌いではないので、今のところ内にこもる生活はそれほど苦ではない。あくまで今のところだけど。
会社で仕事をして、夜の9時10時に家に帰っても、家族がいる居間ではなく自分の部屋で一人食事をする。家族の中で僕が一番感染リスクが高いと思うから。
狭い自分の部屋で丸1日過ごしていても、ありがたいことに窓の外には小さな庭があって緑が見えるし、時々、うちの近所を縄張りにしているノラ猫やスズメやメジロシジュウカラなどの小さなお客さんがあり、ちょうどいい気分転換になっている。
部屋にこもることの苦痛はそれほどないが、苦痛なことが一つある。本屋と図書館が閉まっていることだ。少なくとも、僕の行動範囲内で、僕が行ける時間に開いている本屋を僕は知らないし、図書館はすべて閉まっている。
そんな中、僕の行動範囲内の本屋ではないが、感染リスクと戦いながらお店を開けている本屋さんがある。
谷町六丁目にある、隆祥館書店さんだ。この本屋さんには3年半ほど前の懇意にして頂いているエッセイストの武部好伸さんのトークイベント(正確には「作家と読者の集い」)で初めて寄せてもらった。
お父様からお店を引き継がれた社長の二村知子さんは、元シンクロナイズドスイミング(現アーティスティックスイミング)の日本代表選手だった方。あの井村監督の厳しい指導を受けたスポーツウーマンだ。
それ以来、なかなか立ち寄ることができなかったが、SNSなど発信されている情報は常にチェックしており、今回どうしても応援したいことがあって、先日久しぶりにお店に伺った。

隆祥館書店さんは、4月18日にあるイベントを企画されていたが、緊急事態宣言が出され、イベントは中止に追い込まれてしまった。そのイベントのフライヤーには、イベントを行うきっかけがこんなふうに記されていた。 f:id:fujimako0629:20200430201935j:image
——コロナウィルスで、プロスポーツ、コンサートや演劇の延期や中止が相次ぎました。さらには幼稚園や学校が休校になりました。(注略)そんな折、地域のお客様が来られ、「図書館も閉館になったからもうどこにも行けないの。本屋さんが近くにあって良かったわ」と言ってくださったのです。このような非常時の際に地域の本屋だからできることは何だろうか。改めて悩み、考えました。自粛が続いている今だから
こそ、本に親しんでいただく場の提供はどか…——と。イベントのタイトルは、「文化のインフラとしての本屋のあり方」。
4月18日は、会社のイベントが延期となった土曜日で、このイベントに参加しようと思えばできたが、やはりそんな単純な問題ではないと、参加を見合わせていた。
今街の、私たちの「生活インフラ」を支えてくれているお店や交通機関、そして病院や医療関連以外のお店の多くは自主的にお店を閉めている。不要不急の外出を控えてほしいという政府の要請に同調してのことだ。
でも、少しでも前向きに内にいることを支えてくれる道具として、本はとても有用なアイテムではないか?本屋は開いてなくても本は買える、という声が聞こえてきそうだが、僕はそういう本の買い方はあまり好きではない。
二村さんは、「文化のインフラ」が本屋だという。僕もそう思う。そして、この言葉が僕の思いを発展させる。生活から文化が生まれ、生まれた文化が新しい生活を支えるのだ、と。
僕のような本好きの、今感じている苦痛を少しでも和らげるために、感染リスクと戦いながらお店を開け、世の中に役に立つことを必死に模索している本屋さんがあると知っただけで、どれだけ嬉しかったか。
「閉める」、「開ける」相反する2つの決断は、どちらも勇気がいることで、どちらも尊敬に値する立派な決断だ。僕は「開ける」という選択をした隆祥館書店さんを応援したくて、この本「13坪の本屋の奇跡」を買いに行った。「閉める」という決断をした多くの本屋さんは、SNSなどを使い自分にできる応援をしていきたい。

さてこの本は、「オシムの言葉」でミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞したノンフィクション作家の木村元彦さんが隆祥館書店さんに密着して書いたノンフィクション。
街の本屋さんが次々と無くなっていく中で、その原因となっている出版業界の問題点と戦いながら、我々庶民の「読みたい」に寄り添ってくださっている隆祥館書店さんを始めとする、頑張っている街の本屋さんに明るい未来が訪れてほしいと心から思う。
そして僕らも、我慢を強いられる今だからこそ、お客さんや仲間に迷惑をかけない工夫をいっぱい考え、自分にできる最善のことをしよう。ピンチをチャンスととらえよう。
今の我慢を今後の人生に生かすために、今は内にいよう。

13坪の本屋の奇跡 
木村元彦:著 出版社:ころから