みなさんへNo52 −ハラビロ君の一生から時間の大切さについて考える−

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うちの玄関先や小さな庭には、もう何年もカマキリが住み着いている。普段はほとんどその姿にお目にかかることはないけれど、ほぼ毎年、秋たけなわの10月になると、僕が見つけやすいところをうろちょろしてくれるので、僕は、「今年も会いに来てくれたんかぁ」と腕に乗せる。そういえば、今年は春にもちっこい姿を見せてくれたっけ。
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ハラビロカマキリ」、それがうちの庭に住み着いている、カマキリの正式な名前だ。

 

10月半ばのよく晴れたぽかぽか陽気の昼下がりのこと、庭用サンダルの横に、ハラビロカマキリはいた。野良猫のトラの攻撃を受けていた。
そのハラビロカマキリは、トラの猫パンチを受けて、防戦一方になっていたので助けてあげた。助けてあげたというのに、ハラビロカマキリは、僕の左手の薬指に鎌をぎゅっと食い込ませた。随分なご挨拶だ。でも、僕は嬉しかった。そろそろかな、と思っていた矢先のことだったので、気持ちが通じたような気がしたのだ。僕はその子にハラビロ君と名付けた。

 

ハラビロカマキリは、オオカマキリの半分くらいの大きさで、お腹がぷにょっと太くて柔らかい。そして、羽に白い斑点が付いているのが特徴で、関東より南に分布しているそう。成虫でも体長5センチくらいにしかならないハラビロカマキリは、愛嬌があって可愛らしい。

 

僕は、助けたハラビロ君の食い込んだ鎌をほどき、彼の緊張が解けるのを待って、腕に来るように誘導し、しばらく眺めて写真や動画を撮った。ハラビロ君は、右の鎌の先を口にもっていき、メンテナンスを始めた。めっちゃ愛くるしいしぐさだ。
ただ、ちょっと元気がないのが気になったので、僕は、ハラビロ君を部屋の中から網戸にたからせ、庭に出てバッタを探した。原っぱみたいな庭だから小さなバッタはすぐに見つかる。
芝生の上を注意深く歩いていると、緑色の小さな生き物がぴょんと跳ねる。
その子をそっと捕まえれば、かわいそうだけど、たぶんお腹が減って元気がないハラビロ君を元気にできると思い、その小さいバッタも、ハラビロ君のそばの網戸にたからせた。

 

僕は、過去に何度もこの季節にハラビロカマキリに出会い、しばらく飼った経験があるので、捕食の瞬間をたくさん見てきた。
餌となる昆虫の存在に気付くと、ハラビロカマキリは、身体を前後にゆすりながらそっと近づき、2つの鎌(前足)で標的のバッタやコオロギを素早く挟み、動けなくして食べ始める。
そんなある意味獰猛な動きでさえ、可愛らしいと思う。とにかくすべてのしぐさに愛くるしさがあるのだ。

結局その日、ハラビロ君は餌のバッタに手を付けなかったが、翌朝になるとハラビロ君だけが網戸にいたので、夜中に彼は、バッタを食べたんだと思った。
あいにくその日は雨。僕はハラビロ君を雨がやんでから庭に放してあげようと思い、そのまま会社に向かった。
その日の雨は夜になっても上がらず、じっと動かないハラビロ君を僕はもう一晩網戸にたからせたまま眠りについた。

 

次の日の朝、ハラビロ君はいなかった。網戸のどこにもいなかった。その代わり、バッタが網戸にいた。僕は、えっ?と思ってハラビロ君を探した。
本当にどこにもいない。それよりなんでバッタが網戸にいるんだろう?僕はバッタを庭に放った。
そして、もしやと思い、床の窓のレールに目をやった。
ハラビロ君はそこにいた。もう天国に行った後の抜殻になっていた。
昨日、雨が降っていても、ハラビロ君を庭に放してやればよかった。庭で命を全うさせてあげたかった。
本来なら、雌のハラビロちゃんに出会って、完全燃焼で命を全うできればよかったんだけど、野良猫トラのパンチを喰らっていた時から、もうきっとヘトヘトだったんだろう。
春先の庭の、多分桜の木の枝に植え付けられた卵から、数百匹のハラビロカマキリの赤ちゃんが生まれて、そのうちの1匹がこうして大人になった姿を僕に見せて人生を全うする。
僕にとってはたかが半年だけど、ハラビロカマキリにとっては、一生だ。
人間の半年とカマキリの一生…時間の流れについて思いが巡る。

 

時を同じくして「時間」をテーマにした懐かしい本に再会した。「モモ」という児童書。小学校の高学年向けの本だ。
僕はこの本を小学校の図書室で見ている。読んでいるかもしれないけれど、記憶からは消えている。その本を元町の古本屋さんで見つけ、懐かしい図書室の映像や匂いが蘇った。

 

中世のイタリアの建造物を思わせる円形劇場に住んでいる「モモ」という名の少女が、灰色の男たちが運営する「時間貯蓄銀行」に、騙されて預けた人間の「時間」を取り戻すために奮闘する不思議な物語だ。

 

時間が進むと当たり前だけど、僕たちはその分歳を取ると同時に、何かしら経験する。幸せな経験ばかりじゃなくて、つらい苦しい経験だってする。歳は取りたくないし、辛い経験もしたくないけど、時間は止められない。「時間を無駄にしてはいけない」ってよく言うけど、ずっと気を引き締めて集中なんてできないし、そもそも人生の30%くらいは寝てる時間だ。「無駄な時間の使い方」…いったいどんな風に過ごす時間が無駄なのかちょっと考えてしまった。ハラビロ君とモモがいいテーマを僕にくれた。

 

モモ
ミヒャエル・エンデ:著 大島かおり:訳 岩波書店