みなさんへ No.44 -周りの人を「ふふ」ってさせたい-

f:id:fujimako0629:20200301145006j:image今週の水曜日の事でした。
朝の7時過ぎ、僕は駅に向かって歩いていました。
国道2号線に出て、バス停を横目に歩道を歩いていたらちょうどバスが来ました。
バス停には、若い男性がひとり立っていました。
その男性は、バスが停車し、ドアを開けているのに乗ろうとしません。すっとスマホを見ていました。
バスは当然のごとくドアを閉め、本線に戻るべく徐行で動き始めたとき、その男性はバスが来ていたことに気付き、閉まったドアに手を当て、「ドアを開けろ、何やってんねん」と言わんばかりに一緒に小走りでバスについて行きました。
運転手さんはなかなかそのことに気付きません。
僕はその光景を見ながら心の中で、こんなふうに思っていました。正直に言います。
——バスが来てることにも気が付かないで、スマホの画面ばっか見てるからや。あほやなぁ。このままバス、行ってしまえばいいのに——
その男性は、本当にバスが行ってしまいそうになったので、ドアを思い切り叩きました。
その音でようやく運転手さんが気付いて、3mほど走ったところで停車し、ドアを開けました。
その男性は、バスに乗り込むと大声で怒鳴りながら、運転手さんのもとに行き、真っ赤な顔で何か言っていました。
きっと、「自分が立ってるのに、何で行こうとしたんだ」みたいなことをまくしたてたんでしょう。そしてその男性は、間髪入れず運転手さんの顔を殴ったのです。
運転手さんは一瞬カッとなって立ち上がろうとしました。でも我慢しました。多分ぐっとこらえて、他のお客さんのための最善の行動としてバスの運行を選択したんだと思います。
僕は、その一部始終を見ていました。そして、凄く腹立たしい気持ちになりました。
バスに乗り込み、その男性をひれ伏させ、運転手さんに謝らせなければ気が済まない、と本気で思ったくらいに。あいつには、きちんと罰を与えなければならないと強く思いました。
僕は、気持ちを切り替えるのが割と上手な方だと思うのですが、その日は、あの光景が頭から離れず、腹立たしさもずっと消えずに残ったままでした。

さらに時間が遡りますが、先週の木曜日と日曜日に、僕はラジオを聴いていて、偶然にもリリース間もない同じ曲を聴き、その素敵な歌声と心に響く歌詞に引き込まれました。
シンガーソングライターのNakamuraEmiさんという方が創られた「ふふ」という曲です。音楽もラジオもあまり聴かない僕がこの曲に出会ったのは、単なる偶然じゃないのかも?と今となっては思ってしまいます。この曲との出会いは、あの光景を見るための必然ではなかったのか、と。

NakamuraEmiさんのこの曲は、LaLaTVの「虐待防止」というテーマの番組がきっかけで、虐待防止の活動をされている方のお話を基に作られたのだそうです。

虐待とは、自分のストレスや、満たされない感情といった、いわゆる負の感情を抑えることができずに、身近な特定の人にその感情を様々な形でぶつけてしまう、それも習慣的に…
こういう行為をいうのだと、この曲を聴いてからきちんと勉強しました。
最近では、栗原心愛さんの悲しい事件の裁判について大きく報道されましたよね。
じゃあ、具体的にどういう行為を虐待って言うの?僕は、こういうデリケートな問題を杓子定規に線引きすることについては首をひねってしまいます。
僕は子供のころ、父親にも、中学の担任の先生にも殴られました。
子供や生徒を殴るという行為は、今では「虐待」と呼ばれる行為になるのでしょう。
殴られた直後はショックだったと思いますが、悪いことをしたという自覚もあったし、不信感や恐怖心よりは、殴られて当然という反省の気持ち方が強かったですけどね。
本当にデリケートで難しい問題だから軽はずみに語ることはできないけれど、「虐待」という行為を語るときに絶対に無視してはいけないキーワードは、虐待をしてしまう人、その虐待を止められなかった人、それぞれの心にある「深い闇」だと思います。
というか、心に闇を持っていない大人っているんでしょうか?
僕の心にも闇の部分があります。今は何とかコントロールできているけど、心の中の闇の部分が深く大きくなると、物事をネガティブにしか考えられなくなり、会社にも行きたくなくなり
ます。そうなってしまうと僕は、ある意味必死に、「助けて」って言える場所や行動にすがります。
外に出て、太陽の光を浴びながら新鮮な空気を吸います。こういうときこそ無理して笑います。頑張っても笑えないときには、口角だけでも必死に上げる努力をします。
それが、僕の「助けて」の場所であり、行動です。こんなふうに心がけると、また次の朝が来るという事実を少し冷静に受け止められるようになる気がします。闇がしぼむ感じ。
きっと、虐待をしてしまう人も、それを止められない人も、自分が壊れないように必死で、「誰か」か「何か」に「助けて」とすがっていたんだと思います。
そのすがり方を誤ってしまうと、それが虐待や、カッとなってやってしまう暴力に繋がってしまうのではないかと、今回いろいろ考えてそう思いました。

水曜日の僕の怒りは「ふふ」を聴くことで収まりました。そう、僕を「ふふ」と優しい気持ちにしてくれたのです。
「ふふ」とは優しい心を生む小さな笑みのことです。
あの若い男性も、「いやだいやだ、行きたくない」そう思いながら、頑張ってバス停まで来たのかもしれません。そして、「助けて」の対象であるスマホに逃げ込んでいたのかもしれ
ない、そう思えるようになりました。
あの男性がしたことは許されることではないけれど、暴力をふるう人や虐待をする人のことを理解する気持ちなしに、暴力や虐待を無くすことは出来ませんもんね。
「ふふ」を、NakamuraEmiさんの素敵な歌声を是非聴いてみてください。

ふふ 作詞・作曲/NakamuraEmi・カワムラヒロシ レーベル/日本コロムビア